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≪「考えること」の前進と発表≫

 例年、2月号の原稿を書く今時期は、雪祭り真っ最中です。今年も眼下に雪像群があります。さて今年度も残すところ2ヶ月です。後半戦は、どこの企業も苦戦続きです。我が家の子供たちも期末試験を控え、これも苦戦中です。昨年から週末には、中二の次男と2時間程度、英語を中心に一緒に勉強をしています。「勉強しなさい」というのは簡単ですが、今何の勉強をしているのかもわからないで「勉強しなさい」も無責任な姿勢と考えたわけです。今は、何でつまずき、何が遅れているかなどしっかりと理解しているつもりです。

 昨日の日曜日は、国語に多くの時間を割きました。なかなかいい文章でした。「考えること」の大切さを教える論説文です。子供ばかりでなく、私たち大人にも大切なメッセージだと思いましたので少しご案内し、コメントを付したいと思います。

①「考えること」は「知ること」とは違う
 コンピュータなどを駆使すれば現代では情報を探し、多くのことを知ることができます。しかしコンピュータには考えることはできません。あまりに多くのことを「知ること」ができるので「考えること」をやめる傾向が顕著です。学生などのレポートは、インターネットのコピーが当然となっています。それはあなたの意見ですか、と問いたい場面が多々あります。

②「考えること」で前進する
 「考えること」を続けた人は、新しい原理や発明をもたらします。エジソンやガリレイの例が載っていました。 「考えること」は、新たなものを生み出し、世の中を前進させます。「考えること」をやめた人は、新しいことを受け入れるのに抵抗します。その結果、世の中も組織も停滞します。考える習慣づくりが大切です。

③「考えたこと」を発表する
 人が「考えたこと」は、誤りや欠けたものなどに満ちています。自分の言ったことは絶対間違いないという姿勢は、現に慎むべきものです。人に「考えたこと」を発表し、これに対して他の人から意見をもらう。当初の自分の意見はよりよい方向に変化し、さらに進化する。コミュニケーションがさらに考えを前進させます。謙虚な姿勢が考えを深めます。

 中学二年生の教科書といえども侮れません。あまりにいい文章なので、私が音読し、その後いくつか質問しました。例えばこうです。「学校で学ぶということはどういうことか」と。「鍋料理をするとしよう」「今は材料を少しずつそろえている段階だ。鍋に具材が少なかったらおいしくないだろう。材料調達は、20歳くらいまで続く」「でも材料だけでもだめだ、鍋も必要だし、味付けも必要だ」「これは学校では教えてくれないゾ…」と調子に乗って長引きます。氣のせいかもしれませんが、次男の目が少しだけ輝いた様な氣がしました。

 苦戦続きの業績はどこも一緒ですが、「考えること」をやめると単に大変な話しか耳に入ってきません。「考えたこと」を小さく、しかも素早く実行することで今の時代を生き抜きたいものです。 

ナレッジアドバイザー 佐藤 等

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