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ナレッジメール便【経営のヒント 421】

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◆ 経営のヒント~ドラッカーのナレッジ ◆    ◆◆◆
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◆◆◆                  ◆  ◆   ◆    第421号

今日も『傍観者の時代』の第14章「プロの経営者、アルフレッド・スローン」です。
8回目ですね。
まだまだ続きます。

<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
彼は、キャデラックをステータス・シンボルとして
マーケティングすべきことを説いた。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『傍観者の時代』p.319 1979年 ダイヤモンド社

前号で述べたシボレー事業部マービン・コイルの後任者は、彼とは正反対の人物でした。
冷たく感じさせるコイルに対し、彼は温かく感じさせました。
彼の名は、ニコラス・ドレイスタッド。

南ドイツ出身のドレイスタッドは、
わずか13歳でレーシング・チームの最少年の修理工としてアメリカに渡ってきました。
学歴のないこの元修理工はGMの若手幹部の中でも光る存在でした。
彼は大恐慌のとき、キャデラック事業部にいてアフターサービス部門を
任されていたミドル・マネジメントでした。

シボレー事業部は大恐慌を何とか乗り切っていましたが、
その事業部は惨憺たるものでした。
中でもキャデラック事業部は、まったく売れなくなり解体寸前の状況でした。
完全清算するか、車名だけを残すか。
そんな二者択一の選択肢を前にした経営委員会にドレイスタッドは乗り込んできました。

経営委員会のメンバーは、誰一人彼を見たことがありません。
そこに1年半の再建計画を携えてきました。
そこで彼は
「全国のアフターサービス網を担当しており、すでにキャデラックが黒人の芸能人、
ボクサー、医師、不動産業者など黒人富裕層という小さな市場で
最も人気のある車になっています」
「キャデラックをステータス・シンボルとしてマーケティングすべきです」
と訴えたのです。

ところが当時のGMは、黒人には売らないという方針を堅持していました。
ところが現実は、黒人たちは白人の名義を借りてまでして、それを取得していたのです。
ドレイスタッドは調べてみて実感しました。
キャデラックが黒人にとって唯一の成功のシンボルになっていることを。
こうして大恐慌の余波がある時期に黒人の市場を開拓して、
1943年には、早くもキャデラック事業部を黒字化させました。

もう一つの功績は、高級車を大量生産することで利益のあがる事業にしたことです。
「本当の大量生産はフォードのいう大量生産とは違う。
それは組み立てラインのことではない。
組み立てラインは道具にすぎない。大量生産とは頭を使って生産することだ」と。
後年、ドラッカー教授は大量生産とはコンセプトであると述べました。
ドラッカー教授の頭の中にあったのはこの時のやり取りではないでしょうか。

佐藤 等

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