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ナレッジメール便【経営のヒント 419】

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◆ 経営のヒント~ドラッカーのナレッジ ◆    ◆◆◆
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◆◆◆                  ◆  ◆   ◆    第419号

今日も『傍観者の時代』の第14章「プロの経営者、アルフレッド・スローン」からです。
この章はしばらく続きます。

<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
あの人はGMの頭脳です。
でもいっていることが意味不明で困るんです。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『傍観者の時代』p.312 1979年 ダイヤモンド社

「あの人」とは副社長のドナルドソン・ブラウン。
ドラッカー教授の調査の窓口となって動いた人物です。
ブラウンはCEOスローンの下、GMの基本となる業務の設計を行いました。
財務、統計、海外戦略、給与システム、人事システムなど
「すべてが世界で初めて」と評されました。

ブラウン家はメリーランド東海岸での最初の入植者であり、
ドナルドソンは200年の歴史を有するたばこ農園の子として生まれました。
農園でもプランテーションは当時没落産業の代名詞でした。

「能無しの貧乏人」とデュポン家はブラウン家を見下していました。
両家は近くに住んでいるため接点があったのです。
ブラウン家はデュポン家を「成り上がりの商売人」として見下していました。

しかし何の因果かブラウン家のドナルドソン・ブラウンは、
化学を専攻して大学を卒業しました。
当時、専攻を生かせる就職先はデュポン社しかありませんでした。
父親に「他に仕事を見つけてすぐ辞める」と約束して就職しました。

第一世界大戦中は、各地に弾薬工場を建設するなど手腕を発揮し、
トントン拍子に出世します。
彼は化学のみならず、有名なデュポンの財務システムを確立させました。
その他、経済予測、長期プラン、投資計画、事業部予算などの仕組みを作成し、
デュポン社の頭脳となりました。

その後、1920年、GMが経営危機に瀕し、その際に経営のかじ取りを任されたのは
筆頭株主のピエール・S・デュポンでした。
その際に移籍してきたのがドナルドソン・ブラウンでした。
デュポン社の頭脳はGMの頭脳となったのです。

どれも作り上げるシステムは世界初レベルでした。
それゆえ「言っていることが意味不明」と揶揄されていました。
しかしドラッカー教授は彼の「癖を知ってしまえば、彼を理解することは容易だった」
と述べました。
人の特性をつかむことに長けたドラッカー教授はなんなく情報を入手したのです。

佐藤 等

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