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◆ 経営のヒント~ドラッカーのナレッジ ◆      ◆◆◆
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◆◆◆                     ◆  ◆    ◆       第242号

今日は『マネジメント―課題、責任、実践―』、第6章「企業とは何か」からお伝えします。
先は、はるか遠いのに足踏みです。今日の一言です。

<ドラッカーの一言>
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マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。
他のものはすべてコストである。
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『マネジメント』p.78 1973年 ダイヤモンド社より

ドラッカー博士は、マーケティングとイノベーションを企業家的な2つの機能といいました。
顧客を創造するための2つの手段です。
世界に先駆けて、マーケティングを実践した企業として、伊勢の商人三井高利が紹介されています。
1673年、52歳にして江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業。
間口9尺(2.7m)の小さな借り店舗から、今の三越は生まれたのです。
現在の三井グループの誕生でもあります。

「現金安売り、掛値なし」、三越が掲げた方針です。
当時では珍しい正札販売を世界ではじめて導入。
店頭販売を原則とし、多様な品揃えを心がけました。
その結果、従来の裕福層だけでなく呉服を広く一般の市民に普及させることに成功しました。
ドラッカー博士は、顧客のバイヤーとなり、顧客のために製品をつくり、顧客のために仕入先を育てたと表現しました。
1683年には今の日本橋店の場所に移転、日本初の広告宣伝ビラを作成しています。
まさにマーケティング革命そのものといって過言ではない史実が、世界に先駆けて江戸時代初期にあったことはわが国の誇るべき「物語」です。

明治に入ってからも、マーケティングの新機軸は続きます。
1888年には、本館西側に洋風塗屋作り2階建ての三越洋服店を開設しました。
1895年には、ガラス張りのショーケースに商品を陳列する陳列場を設け、これまで畳に座って顧客を待つという座売りをあらためました。
1904年には、「デパートメント宣言」をし、呉服屋から百貨店へと飛躍させました。

このような一連のマーケティング上の進化の背景には、顧客層の変化があります。
江戸時代の新興勢力“町人”の伸張。
明治維新後の西洋文化への対応。
富国強兵政策による国力向上にともなう購買力の拡大。
これらの機会を的確にとらえたのが三越成功の要因です。

これら一連の出来事は「シアーズ物語」に匹敵し、まさに「三越物語」とよぶに相応しいものです。
最後にドラッカー博士の言葉を引用して、現在苦境にある三越へのエールとしたいと思います。

「マーケティングとは、企業の成果すなわち顧客の観点からみた企業そのものである。
したがって、マーケティングに対する関心と責任は、企業のあらゆる分野に浸透させなければならない」。

佐藤 等

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