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ナレッジメール便【経営のヒント 437】

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◆ 経営のヒント~ドラッカーのナレッジ ◆    ◆◆◆
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◆◆◆                  ◆  ◆   ◆    第437号

『傍観者の時代』の最終章の第15章は「お人好しの時代のアメリカ」です。
ドラッカー教授自身がアメリカ上陸後、数年間で体感した生の記憶です。

<ドラッカーの一言>
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人を助けようという気持ちの高まりは
ほかならぬ不況のおかげだった。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『傍観者の時代』p.349 1979年 ダイヤモンド社

前回も書いたように、就職先や自分たちの住居、事務所に至るまで
当時のアメリカでは、人の好さと行動力で縁もゆかりもない土地でも決まっていったのです。
それが1930年代のアメリカでした。

そのきっかけは1929年の世界大恐慌でした。
それまでのアメリカは形式張らない文化ではあるもののヨーロッパと比べても人に冷たく、
人を助けず、人を受け入れようとしなかったそうです。

アメリカの大恐慌への反応は、地震、洪水、ハリケーンなどの
天災への反応と同じだったといいます。

人を助けようとする気持ちが高まり、身分を超えた助け合いが行われたのはそのためです。

しかしこのような動きはヨーロッパでは起きなかったといいます。
ヨーロッパでは、疑念、敬意、恐怖、羨望を生み出しました。
それはドラッカー教授が『経済人の終わり』で「絶望する大衆」と表現したものでした。

この違いを教授は、「つまり経済だけを見るならば、不況は天災ではなかった。
それはまさに常態としての新しい現実」としました。
不況は、ブルジョア資本主義下で常態として起こる現実となりました。
その現実が社会が崩壊しつつあったヨーロッパの人々には絶望と映り、
社会がしっかりしていたアメリカでは人々は天災と理解しました。
こうしてドラッカー教授はアメリカという国の魅力に気づき、大いに可能性を感じていくのです。

佐藤 等

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