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≪「ドラッカー教授の教え」と出会う~中編~≫

 6月から暑い日が続き、作柄も平年以上という状況まで回復したというニュースを紙面で見ました。天候だけでも追い風であることを願うばかりです。

 さて、前回に引き続き私の[20年間の振り返り]にお付き合い下さい。前回は平成9年に法務会計プラザに参加し、会計事務所業務に軸足を移すまでの様子を駆け足で書かせていただきました。

 ご存知の方も多いと思いますが、法務会計プラザは、太田勝久弁護士と田澤泰明司法書士の両先生が運営していた法務プラザを改称したものです。平成7年頃から熱心に誘っていただき、コンサルティング業務からの撤退を機に、参加させていただくことを決めました。

 それまで数度引越し、直近でも西18丁目、11丁目と転戦。地下鉄を東進して大通駅に到達、現在の地は13年目になりますので最長不倒です。ただここに移ってからもその中で3度引越し(拡張含む)、相変わらずの遊牧民生活です(笑)。

 その間、お蔭様でスタッフ数も平成8年当時と同数以上にまでなりましたので、なんとか再スタートは成功したようです。

 平成9年の転換後には、様々な出逢いが生まれます。最大の出会いは平成11年10月に訪れます。太田先生を訪問していたプルデンシャル生命の高塚伸志(のぶゆき)さんとの出逢いです。直後の勉強会に参加し、そこで恩師である小樽商大の瀬戸先生との出逢いに繋がります。そのご縁で平成12年には、小樽商大の大学院に進むことになります。

 社会人大学院へ進んだことは、結果としてその後の人生を左右するほどインパクトがありました。わずか2年の経験でしたが多くの財産を手にすることができました。

 前回「その答えは平成12年にやってきました」と記したのもそのうちの一つでした。ドラッカー教授の著書との鮮烈な出会いです。

 また、ゼミには現在もつき合いが続く仲間が集結していました。まさに「梁山泊」のごとしです。メンバーをご紹介できないのが残念です。

 最高の財産は、瀬戸先生から私たちに発せられた問いです。「君たちは、北海道のために何ができるのか」・・・強烈でした。この言葉は、私の職業会計人の人生を目覚めさせました。「会計事務所にできることは何か」・・・事務所の今の経営理念に込めた言葉、「地域経済の正しい価値創造に貢献し続けます」は、その想いの一端です。 詳しくは次号で。

 <つづく…次回もお付き合い下さい>

ナレッジアドバイザー 佐藤 等

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