ホームナレッジプラザ 20周年感謝祭 特設ページ

KNOWLEDGE PLAZA 20周年 感謝祭

KNOWLEDGE PLAZA 20th

ナレッジプラザの軌跡

ナレッジプラザとは?

ナレッジプラザ 7月度ビジネス塾「土曜ワークショップ」ナレッジプラザ20周年感謝祭ナレッジプラザの軌跡 (2022年7月9日)20周年インタビューから

話し手

佐藤等 氏

話し手

清水祥行 氏

聞き手

鹿島晋 氏

佐藤等氏とナレッジプラザ関連年表

1997年

会計業務を中心事業にシフト

1999年

異業種交流会(C³-Club)の会長就任

2000年

4月

社会人大学院に入学

2002年

6月

ナレッジプラザ設立

2003年

2月

上田惇生先生に出会う

2005年

11月

(ドラッカー教授逝去)

11月

ドラッカー学会の設立

12月

個人ブログを開始

2008年

3月

ナレッジプラザが東京進出

2010年

1月

著作『実践するドラッカー』を上梓

2013年

ファシリテーター養成講座がスタート

2016年

6月

『ドラッカーを読んだら会社が変わった!』

2020年

2月

ビジネス塾をオンラインサービスに

2022年

6月

ナレッジプラザ20周年

──大学院時代、恩師の問いから誕生した

鹿島 「ナレッジプラザ」は今年2022年6月に20年を迎えました。おめでとうございます。ナレッジプラザのこれまでの歩みと、これからについてお聞きしたいと思っています。

佐藤 ナレッジプラザをつくろうと思った発端は、わたしが社会人になって15年目の時、小樽商科大の大学院(現・小樽商科大学大学院ビジネススクール)に入ったことにあります。大学院に入ったのは2000年の4月。きっかけは後に指導教官となる瀬戸篤先生に出会ったことです。当時、自分の中でビジネススキル的に足りないものがあるなと感じていました。わたしは1997年に経営コンサルティング会社「ビジネスクリニック」から会計事務所に看板を掛け替え、事業転換をしている最中でした。瀬戸先生にお誘いを受け、即決した覚えがあります。

清水 わたしはそのコンサルティング会社入ったところから佐藤さんとのご縁が始まりました。中小企業診断士の資格を取得し、仲間の診断士から紹介されたのが佐藤さんでした。当時のコンサル会社は狩猟型でした。新しい顧客をとってきては次の顧客を開拓する。そんなスタイルでした。「これからの時代は農耕型という長いお付き合いをするスタイルにしなければならない」ということで、会計事務所をベースにした事業転換をすることになり、わたしもそこへ移籍しました。大学院へ通う佐藤さんの不在に対応する役目で、所長代理もしていました。

鹿島 ナレッジプラザを設立するにあたって、佐藤さんの大学院時代のことをお聞きしたいです。「君たちは北海道のために何をするのかね?」と問われて同級生である函館の川島眞一さんは答えられなくて固まったと聞いています。

佐藤 まさにその通りです。瀬戸先生のこの問いの結果生まれたのがナレッジプラザでもあります。ゼミの仲間ほぼ半数以上が新しい事業を始めるきっかけになりました。瀬戸ゼミは厳しいところです。学びだけではなく、行動しなければならないからです。1997年に北海道拓殖銀行が破綻しました。そのころ、北海道電力から母校の小樽商大に転身したのが瀬戸先生。「電力需要を予測している場合ではない。明日の北海道を担う人材を教育しなければならない」と。そのような想いをもったゼミだったので2年間「地域のために何をやるのか」を問われつづけた日々でした。北海道は地域GDPの計算によると域際収支が2兆円マイナスになっています。その数字は今もさほど変わっていないと思います。なので、われわれは「外貨」を稼がなくてはと。そんなことをゼミでは考えさせられました。課題を明らかにした上であなたは何をするのか、という2年間でした。

佐藤 今のかたちと当時思い描いていたものとはちょっと違っていました。当初考えていたのはベンチャー支援でした。そのための、いわばタネをつくっていこうと。地域のスターを生み出そうと戦略を描いていました。各種専門知識を活かして、あるいは連携することで何かをサポートできるだろうと考えていました。

──読書会から上田惇生先生に出会う

鹿島 当時の「読書会」はどんな感じでしたか?

佐藤 大学院時代の読書会は週に1冊、課題本を読んでA4用紙両面に過不足なく要約と所感を書き、提出するものでした。これを毎週やっていました。論文を書くトレーニングの一環でもありました。

鹿島 今のスタイル「気になったところに線を引いて発言する」というやり方とは違っていた?

佐藤 所感イコール気になったところ。気になったところを「書いて」レポート&読み上げるやり方を、本に線を引いてその部分を口頭で発表する、ということに変化したかもしれませんね。

鹿島 読書会の源流はあの松下村塾だとか?

佐藤 以前に仲間内で「吉田松陰ツアー」みたいな企画がありました。実際に山口県萩市の松下村塾に行くと、そこに看板があり「書を読んで語り合う」ということが書かれていました。これは「われわれの読書会と同じじゃないか」と思いました。今も昔も基本は同じなのですね。ちなみに読書会自体は、瀬戸先生も学部時代に習ったやり方だと言っていました。

鹿島 話しは変わって、ドラッカー教授の翻訳のそのほとんどを担った上田惇生先生との出会いは?

佐藤 2003年の2月です。札幌で読書会というものを開催している中で、ドラッカーの本4〜5冊を集中的に読んだことがありました。そんなことがきっかけで、訳者の上田先生のお話を直接聞きたいよねということになりました。当時はベンチャー企業のための人材発掘・育成会社(株)ヒューマン・キャピタル・マネジメントの事業として読書会を開催していました。その会社の社長・土井尚人さんが出版社に電話したら、たまたま上田先生がいた。そこで快諾してもらい札幌に来てくれることになったのです。

鹿島 当時の上田先生の印象はどんな感じですか?

佐藤 何を話しているのか分からなかったです(笑)。上田先生の話しはハプスブルク家(ドラッカーの出身国、オーストリア=ハンガリー帝国の帝室)から始まるのですね。レジメはいつも同じなのですが、話しの内容はいつもちがう、というのが上田講演です。ちょっと不思議な講演なのです。ヨーロッパの歴史から始まって、ヨーロッパのことで終わってしまう。時間切れでアメリカのところまで行かないのです(笑)。

鹿島 「ドラッカリアン」ということばも上田先生との交流で生まれたと?

佐藤 ドラッカーファンのことをドラッカリアンと呼び、アメリカではそういうことばはあるそうです。上田講演会が終わったあと7〜8人で懇親会に行きました。その場で上田先生にドラッカーの勉強会のことを話し、「日本ドラッカリアンの会」を少々悪ノリして立ち上げました(笑)。会員番号をつけようと。わたしが1番を名乗り、それゆえ「ドラッカリアン1号」ということになりました。しかし、それ以降、会員は増えていません。募集もしていませんが(笑)。そんなこともあり、その年の4月からドラッカーの読書会でもやろうかなと、開始しています。ほぼ今のスタイルと同じです。61章ある『マネジメント』を2年半かけて読み合ったこともありました。

鹿島 上田先生に読書会を見てもらったこともあるとお聞きしました。

佐藤 上田先生をお招きした合宿形式の1泊2日を小樽市の朝里川温泉でやっていました。その合宿の中で読書会を実施して見てもらって感想を述べていただいたということがありました。「ドラッカーを読んでいる人はいつもニコニコしているね」と言っていたのが印象的ですね。

鹿島 ドラッカー学会の設立の経緯は?

佐藤 設立はドラッカー教授が亡くなった直後。2005年の11月19日。教授の96歳の誕生日プレゼントの気持ちで学会の創立を準備していました。しかし、数日だけ間にあわず。上田先生とのご縁があったこともあり、わたしは発起人として30人ほどの中に加わりました。

鹿島 佐藤さんは「ドラッカリアン参上」というタイトルで個人ブログを運営していますね?

佐藤 ブログは5000日の連続投稿した記録があります。2005年の12月26日から毎日書いていました。最近は週1本とかのペースです。その年の11月11日にドラッカー教授は亡くなりました。そんなに重く受け止めてはいなかったのですが、なにかやらなくてはと思いました。「できることをやろう」と考えたのがブログを開始したきっかけです。

──ナレッジプラザが全道各地へ、東京へ

鹿島 ナレッジプラザは2度大きく変化して、今、コロナ禍になってオンライン化。3度目の変化中とお聞きしました。

佐藤 ナレッジプラザは最初、経営者の交流会でした。いろんな会の流れが合流して「西田塾」や「マンダラセミナー」などを取り込んで開催してきました。読書会も同じ流れです。(株)プルデンシャル生命保険札幌支社の高塚伸志さんがやっていた異業種交流会があったのですが、それが今のビジネス塾の原型に近いですね。わたしは1999年から参加していました。この交流会の会長を引き受けてナレッジプラザに「移植した」という感じでビジネス塾が始まりました。

清水 当時は札幌だけでやっていました。函館の川島さんからのラブコールで函館でもビジネス塾が立ち上がり、以降、帯広・旭川・小樽で開始されました。その後、東京で開催。しばらくこの拠点が続きました。

佐藤 どこの会場も同じやり方なのですが、1年前に読書会というものを先行開催して勉強仲間を集め、可能性があればビジネス塾を行うというようにやっていました。東京進出の際、先発の読書会が2008年です。翌年に「マネジメント塾」が始まりました。

清水 そして2010年、いわゆる「実ドラ」、『実践するドラッカー』シリーズの出版につながりますね。

佐藤 実は出版の話しは2007年くらいにありました。一度はボツになりました。ドラッカー関連本の一部を補完する原稿を書き上げたのですが、事情があって日の目を見ませんでした。でも、原稿がもったいないねという出版社の計らいもあり、出版することになりました。当時、岩崎夏海さんによる小説『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』が280万部の大ヒットになり、わたしの本の追い風にもなりました。

──ファシリテーターを養成して全国各地で読書会を

鹿島 ファシリテーター養成講座についてはじまりの経緯をおしえてください。

佐藤 ピークではひとりで年間70回くらい、読書会を開催していました。肉体的にも限界が近づき、同時にドラッカーのこと自体も広がっていかないなあと思っていました。そこでわたしの分身となって読書会を開催するファシリテーターを養成しようと考えたのです。第1期、第2期くらいまでは実験的に手探りで開催していました。結果、この2期生が期待に応えてくれたこともあり、ドラッカーをまったく知らない人でもドラッカー本の読書会がまかせられるという確信を得て、今の形に至っています。養成講座を開催してみて、学ぶということはどういうことかなと思い悩みました。養成講座ではほぼ、教えない。教えず、学ぶ。この転換をどうすればいいのか。学ぶ体質をどのようにすれば作れるのか。教えたものの吸収率は異常なほど低いのです。でも、自ら学んだものはちがう。このことをプログラム化できたことが大きな収穫・気づきになりました。

鹿島 コロナ禍の世になり、ナレッジプラザの各種サービスもこの3年間はオンラインの形式に置き換わりました。今後についてはどうでしょうか?

佐藤 リアルでの講座を少しずつですが復活させています。オンライン上でコミュニティを作れるのか、という仮説段階です。結論が出ていません。読書会もビジネス塾もそうですが、必ず本編の後には飲み会という懇親会をセットにしています。この飲み会でコミュニティが親密になる。その状態をオンラインだけでできるのかなと。そういった意味でもリアルは重要だと認識しています。

清水 読書会はリアル開催が原則ですね。セミナータイプのものはオンラインが原則になるかもしれません。いずれ年に1,2回程度、全国のどこかの読書会開催地でハイブリッド開催ができればと考えています。セミナーは、一緒に聞いているだけでは、参加社同士はなにも共有されていません。同じ話しを聞いても、反応する場面は人それぞれ違います。情報を自分の中に入れた後、咀嚼して出す。出したものを隣の人と共有する。このことによって一方通行ではなく、相互作用が共振しあう場になっているように思います。

鹿島 佐藤さんは昨年還暦を迎えました。今後はどのような活動を目指していますか?

佐藤 ドラッカーがいうところの「知識の結合」を始めなければならないと思っています。例えば、「ドラッカー×人間学」。「ドラッカー×会計」とか。分野の異なる「掛け算」によって知識の生産性をあげる。時間のあるかぎり、この2つの分野に注力していきたいと思っています。というか、この2つだけで時間が足りないとも思っていますね。目指しているというより、この方向に向かっていくことが、世の中に少しでも貢献できることだと思っています。

鹿島 本日は長時間に渡りありがとうございました。

ナレッジプラザへのご参加

ナレッジプラザ会員になると、月額5,500円で豊富なサービスが受けられます。

ナレッジプラザ会員は、月会費でビジネス塾・読書会・ナレッジゼミなど複数受講いただけます。D-Labメンバーは、佐藤等の特別研究会へのご参加、ドラッカー研究レポートの郵送等、ドラッカーを深めたい方にオススメです。

ビジネス塾

ビジネス塾

実践するマネジメント読書会

読書会

ナレッジゼミ

ナレッジゼミ

実践するドラッカー講座

実践するドラッカー講座

ビジネス塾の動画アーカイブ

動画アーカイブ

経営のヒント

メルマガ

マイナレプラ

マイナレプラ

D-Labアプリ

D-Labアプリ

ナレッジプラザ会員

¥5,500 / 月

初月無料 + 入会金無料

ご入会手続きはこちら
ナレッジプラザ会員

初月無料トライアル実施中です。お気軽にお問い合わせください。

お問い合わせはこちら