論理的道筋について示した「八条目」(古典『大学』より)【経営のヒント 628】
新しいテーマ<マネジメントと人間力>も3回目になりました。
この試みは、ドラッカー教授の次の言葉から始まっています(前回も掲載)。
「マネジメントとは、科学であるとともに同時に人間学である。
客観的な体系であるとともに、信条と経験の体系である」
『マネジメント<上>』p.38
前回は、『大学』の冒頭にある結論ともいうべき三綱領について書きました。
今日は、それを実現するための理路、つまり論理的道筋について示した「八条目」についてです。
前回、示した三綱領にある「明徳を明らかにし、民に親しみ、至善に至る」過程は、
別の表現で次のように示されています。
原文は省略し、概要を示します。
天下に明徳を明らかにすることによって、よく天下は治まる。
天下を泰平にするためには国をよく治めることだ。
国を治めるためには家をよく斉えることだ。
家を斉えるためには自分の身を修めることだ。
その自分の身を修めるためには、先ず内なる心を正すことだ。
心を正すためには、外に表れる意を正常(誠)にすることだ。
その意を正常(誠)にしようと思えば、我々に生来与えられた知を極めることだ。
その知を極めるためには、天地の理にしたがって自分自身を正すことだ。
八条目とは、「平天下、治国、斉家、修身、正心、誠意、致知、格物」を指しています。
『大学』では、このプロセスをさらに逆に表現し直します。
これは実践の手段を表しています。
この八つの段階は、一つのものを多面的見たものです。
つまり順番に行うというよりも、それぞれの段階を同時的に少しずつ高めていくイメージです。
1. 天地の理にしたがってまず自分自身を正す―(格物)
2. 自分自身を正すことによって、自ずから知が致る―致知
3. 知が至ることによって、外に表れる意が正常(誠)になる―誠意
4. 意が正常(誠)になると、内なる心が正しくなる―正心
5. 心が正しくなると、身がよく修まる―修身
6. 身が修まれば、家も斉う―斉家
7. 家が斉えば、国も治まる―治国
8. 国が治まれば、その社会も泰平になる―平天下
前回も挙げたドラッカー教授の言葉に「私的な強みは公益になる」がありました。
つまり組織に属している一人ひとりの強みを公益に結びつけることがマネジメントの責任なのです。
「私的な強み」は、セルフマネジメントの中核にあるものです。
個人がもっているものを起点とすることは、マネジメントも人間学も同じです。
『大学』では、その根本にあるものを格物致知(かくぶつちち)といいます。
さて八条目として示された各段階を以下のようにマネジメントの体系に当てはめてみると、
相似形を確認することができます。
格物:世の中の理(ことわり~その代表格は原理)にしたがって自分自身を正す。
致知:原理にしたがって自分自身を正せば、用いるべき知識が身体化される。
誠意:用いるべき知識が身体化されれば、意識が変わる。
正心:意識が変われば仕事に向かう姿勢が正しくなる。
修身:仕事に向かう姿勢が正しくなれば行動も正しくなる。
斉家:行動が変わればチームに優れた組織の文化が醸成される。
治国:それぞれのチームに優れた組織の文化が醸成されれば組織は成長発展する。
平天下:組織が成長発展すれば社会に幸せがおとずれる。
このように見れば八条目は、人間学の体系と位置づけてもよいかもしれません。
ドラッカー教授は、人間学を「信条と経験の体系である」としました。
人類の経験が2000年以上前から変わらないのは、
やはり天地の理を基本においているからだと言えるでしょう。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)