知識や技術という末学だけでは何事もなすことができない【経営のヒント 632】
新しいテーマ<マネジメントと人間力>の7回目です。前回は、ドラッカー教授の言葉から「何を模倣の対象とするのか」を考えてみました。現代では技術や知識は、模倣の対象というよりもトレーニングの対象と考えるのが妥当です。たとえば会計という、いわば経済言語をトレーニングにより身体能力化することで使える知識に転換するのです。
またドラッカー教授が挙げた成果をあげる5つの能力は、会計などの業務知識とは異なり、習慣化すべき仕事全般に関わる知識です。一般に成果をあげる能力などの知識群には、確たる知識体系もありません。それゆえ「模倣」は、残された有効な方法の一つと言えましょう。
ここで少し言葉の復習をしておきたいと思います。伊與田覺先生は、人間に必要なものを知性、技能、徳性といいました。そして社会人として必要なものを知識、技術、習慣、道徳と呼びました。
たとえば「知性」と「知識」は、一人ひとりの「知性」を用いて社会で共有すべき「知識」を習得すると表現することになります。以下、「技能」と「技術」、「徳性」と「道徳」も同様に表現することができます。
では「習慣」は…これは「人生知識」のようなものと私に思えます。「知識」と表現されるものの多くは「業務知識」や「仕事知識」と言えるのではないでしょうか。
たとえばドラッカー教授は、時間管理を仕事で成果をあげる習慣的能力としましたが、それは人生でも有益なものであり、強みや貢献、集中、意思決定すべてに言えると思います。いかがでしょうか。
ドラッカー教授の次の言葉が印象的です。
自己開発とは、成果をあげるための能力を身につけることだけではない。知識やスキルは身につけていなければならない。仕事のキャリアを進むにつれ新しい仕事の習慣を身につけていかなければならない。しかし、知識やスキルや習慣をいかに身につけたとしても、先ず初めに成果をあげるための能力を向上させていかなければ何の役にも立たない。
『経営者の条件』
伊與田覺先生が知識や技術を末学(時務学)と呼び、本学として習慣と道徳を挙げたのと同じ構造をしていると思いませんか。つまり本がしっかりしていないと末も生きないということです。
外の世界に変化を生み出すこと、つまり成果をあげる人は、習慣と道徳に関する修養が不可欠であると言えます。このような人を真の社会人というのでしょう。
次回は、このような観点から成果をあげる能力以外の習慣にも目を向けてみたいと思います。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)