≪読書の仕方を考える≫
毎年この2月号を書くとき窓の外は、雪祭りです。今年は暦の関係で中国人の姿が多いようです。寒さは厳しいのですが、日差しに春を感じる日もあります。現象が起こる前の「兆し」。季節はもちろんのこと、世の中のすべてのことに「兆し」があります。
こんな学びの機会が始まりました。名古屋から竹村亞希子先生をお招きして全7回で行われる「易経」を学ぶ会です。占いではありません。時と兆しの見方、考え方を学びます。例えば、好調なときに変調の兆しをつかむ。あるいは、好調を維持する心構えを学ぶ。こんな効用がありそうです。なんといっても5千年前の世界最古の本です。7回くらいでは入門の入り口あたりかと思いますが、大きな氣づきと学びを得られるものと期待しています。後日、皆様にもご報告します。
さて年始に私のmixi仲間の日記がキッカケとなり、読書の仕方について考える機会を得ました。世の中には、速読・多読を薦める本が溢れていますが、日記の記事はこの思考に疑問を呈するものでした。これに対する思考は、少数の著作を精読・熟読する方法です。私自身にとっても、ここ数年の迷いを払拭する機会となりました。いろいろ探しまわると、やはり人に大きな影響を与えている人物は、後者つまり熟読派だということです。
例えば、『言志四録』を表し、武士に多大なる影響を与えた佐藤一斎先生は、中年まで多読・濫読を繰り返したが全く無駄だったと告白、後半は熟読玩味、その言葉をいかに活用するかに心を砕いたとあります。私も大好きな田坂広志先生、神渡良平先生なども同様のことをおっしゃっています。これらの偉人たちは、本と向き合い自らを創りあげた人たちです。本と向き合う。あるいは言葉と向き合う。安岡正篤先生は、このことを「知識から見識へ、見識から胆識へ」と仰っています。胆識とは、行動や姿勢にまで落とし込まれた知識のことです。
速読は、知識を得るためのものです。精読は、自分を磨くためのものです。使い分けが重要です。私もここ8年くらいドラッカー博士の著書から毎日学び、発信をしています。なかには『経営者の条件』のように36回目を迎える本もあります。毎回、新しい氣づきを得ることが出来ます。精読の威力を実感しています。
安岡先生は、耽読という言葉を使います。繰り返し思考し、実践を試みた言葉をときに振り返りながら著書を読むことを、この上ない贅沢な楽しみという意味で耽読と表現したのだと思います。はじめて触れる言葉ですが、精読・熟読を繰り返すと少しだけそんな境地がわかるような氣になります。
5千年も昔から、人間の考えることにそう大きな違いはないのではないかと思います。私たちが悩んだり、苦労したりすることに関する解決の智慧は、おそらくほとんど過去に語られたことだと思います。ただ私たちは、それに巡り合っていない。そして何より沢山の情報を得ることが意味のあることだと勘違いして通り過ぎてしまっているのではないかと思います。
立ち止まって良書を読む。繰り返し読む。活用する。また本に戻る。ただそれだけです。ほんの少しの投資(本代)と、ほんの少しの時間で偉大な財産を手に入れることが出来ます。新年早々、貴重な氣づきを得ることが出来ました。
ナレッジアドバイザー 佐藤 等