ポスト資本主義社会【経営のヒント 537】
「漫然と迎える未来」。
数か月にわたり、このメルマガで、その内容を概観してきた『ライフ・シフト』。
共著者のリンダ・グラットンには、この姉妹巻ともいうべき『ワーク・シフト』(2012)が
あります。
2012年から見た2025年を描き出そうと試みています。
どのような人生を送っているか、どういう仕事をしているか、どんなスキルが評価されて
いるか、何を食べているか、どこに住んでいるか、誰から仕事の報酬を得ているのか、
いつ仕事を退くのか…
その著書の中で「なぜ、未来を予測する必要があるのか?」と問いかけています。
皆さんはなぜだと思いますか。
ドラッカー教授の言葉もヒントになります。
<ドラッカーの一言>
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西洋の歴史では、数百年に一度際立った転換が起こる。
世界は歴史の境界を越える。
社会は数十年をかけて次の新しい時代に備える。
世界観を変え、価値観を変える。社会構造を変え、
政治構造を変える。
技術と芸術を変え、機関を変える。
やがて五〇年後には新しい世界が生まれる。
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『ポスト資本主義社会』p.1
この言葉に続けて言います。
「この境界を越えた後の世代にとって、祖父母の生きた世界や父母の生まれた世界は
想像すらできないものとなる。われわれはいま、そのような転換期を経験しつつある」
現代が産業革命以来の大変革期であるという認識は、リンダ・グラットンと
ドラッカー教授は共通しています。
その上で「なぜ、未来を予測する必要があるのか?」
リンダ・グラットンは自分を引き合いに出して次のように述べました。
「私は、いま五五歳。おそらく八〇歳代半ばまで、もしかすると九〇歳代半ばまで生きる
かもしれない。
息子たちは、現在一六歳と一 九歳。
この世代は、一〇〇歳以上生きても不思議でない。
私が七〇歳代まで仕事を続ければ、二〇二五年まで働いていることになる。
息子たちが同じ年齢まで仕事を続ければ、二〇六〇年になる。
あなたや、あなたの大切な人はどうだろうか」
私(メルマガの筆者)は、リンダ・グラットンとほぼ同じ歳です。
子供たちの生きる世界はどうなるのかと考えてしまいます。
それが「なぜ、未来を予測する必要があるのか?」のもっとも素朴な答えです。
私は最近ある人に「自分の子供たちに自分の経験や常識だけに基いてアドバイスするのを
止めました」と告げました。
激変期に過去の経験や常識はかえって害になることがあると感じているからです。
「なぜ、未来を予測する必要があるのか?」
人にアドバイスするときは当然として、自分はどのように生きていくのかを考えるために
必要なこと、それが未来を予見することです。
ドラッカー教授は「未来はすでに起こっている」といいます。
つまり目の前で起こっていること見ればわかるところもあるといいます。
「主体的に築く未来」、リンダ・グラットンが「漫然と迎える未来」に対してあるべき姿を
言い表した言葉です。
貴方はどちらの未来を選びますか?
佐藤 等