マネジメントの修得【経営のヒント 665】
今日にいたってなお、マネジメントの地位にある者自身がマネジメントのもたらしたものの意味を理解していない。自分がどのような文体で話しているかを知らない、モリエールの戯曲『町人貴族』に登場するジョルダン氏と同じである。彼らは自分がマネジメントしていること、あるいは間違ってマネジメントをしていることに気づいていない。
『経営の真髄』<上>p.43
17世紀にルイ14世の宮廷で初演された『町人貴族』は、貴族になりたい愚かな金持ちの町人を主人公とした戯曲です。主人公のジョルダンは、貴族の服を着たり、教師から貴族が身につけている音楽や武術を学ぼうとしたりしますが、貴族になれるものではありません。その成就されない願望によって引き起こされる滑稽な言動を演じ、人々を笑わせます。
肩書やマネジメントに関する情報に触れることで貴族ならぬ、マネジメントになったと勘違いしていないか。ドラッカー教授の警句が響き渡ります。
マネジメントしていることを意識していないのはまだしも、マネジメントとは人を管理することであるなど間違ってマネジメントを理解している状況は最悪です。
自分が用いるマネジメント用語が本来の意味と違っているということは、珍しくはありません。たとえば売上高や利益のことを「成果」だと勘違いしている場合があります。売上高や利益は、業績ですが、「成果」ではありません。ドラッカー教授は、成果は組織の外にあることを示しました。「成果とは、顧客に起こる変化のこと」です。
「成果」の意味は、一例にすぎませんが、普段使っている言葉とマネジメント言語は、同じではありません。同じ言葉を使っていても意味が異なるということです。「自分がどのような文体で話しているかを知らない」―ドラッカー教授の警句を真摯に受け止め、マネジメントを修得したいものです。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)