マーシャル・マクルーハン【経営のヒント 413】
今日は『傍観者の時代』第13章「テクノロジーの予言者、フラーとマクルーハン」から
マーシャル・マクルーハンを取り上げます。
<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
私は、あのもやし野郎のいうことには、
何かがあると思った。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『傍観者の時代』p.294 1973年 ダイヤモンド社
ある有名大学の英文学部の学部長がいいました。
「あのもやし野郎が大学について話をし出したときには、
来年採用しようかと思ったんだよ。
でもどこかの工業大学に譲ろう」
このもやし野郎こそ、若きマーシャル・マクルーハンでした。
彼は当時、セントルイス大学で教壇デビューを果たしたばかりの無名の英語教師でした。
ある学会でドラッカー教授は印象に残る発表を偶然聞いたのです。
「近代大学のカリキュラム」という、興味を引くタイトルではありませんでしたが、
その中で彼は
「印刷本が教授法と表現法だけでなく教授内容まで変えたために、近代大学が生まれた」
「近代の世界観をもたらしたのは、コペルニクスやコロンブスではなく、
活版印刷だった」
と論じました。
これを聞いた先の学部長が
「活版印刷が大学の教授内容に影響を与えたということですか」と聞きました。
これに対しマクルーハンは
「いいえ。影響を与えたのではなく規定したのです。
活版印刷は知識とすべきものを規定したのです」と答えました。
「そんな馬鹿な」と質問者は吐き捨てました。
1940年代の出来事を振り返り、ドラッカー教授は、
「その頃すでに私は、テクノロジーと社会、
そしてテクノロジーと文化の関係に関心をもち始めていた」と述べました。
組み立てラインは道具であり、仕事に関してのコンセプトであるとし、
モノづくり全体からすれば小さな部分にすぎなかったが、
人間そのものを規定したと例示しました。
テクノロジーと社会、人間との深い関係への眼差しはドラッカー教授の真骨頂です。
技術という側面の重要性を今一度、認識しましょう。
佐藤 等