「プロの経営者、アルフレッド・スローン」【経営のヒント 414】
今日は『傍観者の時代』の第14章「プロの経営者、アルフレッド・スローン」からです。
<ドラッカーの一言>
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驚いたことにコンサルティングが
得意だった。
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『マネジメント<下>』p.302 1973年 ダイヤモンド社
1937年に渡米した青年ドラッカーは、29歳の年に処女作『経済人の終わり』(1939)を
出版します。
その後、1941年に太平洋戦争が始まると、陸軍省の仕事を行うようになりました。
そのとき気づくのです。
コンサルティングが得意なのかもしれない。
その後、第二作『産業人の未来』(1942)を書き、戦後世界のあるべき姿を提示しました。
1943年には『サタデー・イブニング・ポスト』など執筆の場を得るなかでドラッカー青年は
物書き(ライター)としてのワークスタイルを確立していきます。
コンサルティングや物書きは必然的に大組織に属して働くというワークスタイルではありません。
自身で「大組織で歯車の一つとして働くことは、下手でもあったし楽しくもなかった」と
認めています。
そんななか1942年ベニントン大学の常勤教員となったとあります。
この頃の大学教員はフルタイムではなくパートタイマー的に働くことができたのでしょう。
同大学で教える前に、サラ・ローレンス大学で週に一日パートタイムで教えていました。
このとき「教えることはずっと続けようと思っていた」と記しています。
こうして30歳代前半のドラッカー青年は、一生を決定づけるワークスタイルを
確立していったのです。
ドラッカー教授は、自身もこの時期を順風満帆と表現しています。
ただ一つのことを除いて。
この話題は次回に。
さて、ドラッカー教授は、のちに自分のワークスタイルを自覚することの重要性を
『明日を支配するもの』で強調しました。
最後にこの問いを記して終わります。
あなたは自分のワークスタイルを知っていますか?
佐藤 等