プロの経営者、アルフレッド・スローン【経営のヒント 435】
21回も続いた『傍観者の時代』の第14章
「プロの経営者、アルフレッド・スローン」も今日で終わりです。
<ドラッカーの一言>
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GMの弱さ、あるいは企業のマネジメントの弱さが、
まさにスローンが主張する責任の構造そのものに
あった。
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『傍観者の時代』p.341 1979年 ダイヤモンド社
GMの弱さとは、「社会からの敬意や政治的な認知については大失敗」だったという
ドラッカー教授の評価を意味しています。
それはスローンの責任の構造の主張の産物だとしたのです。
スローンの責任の構造とは、前回メルマガの「権限と責任は対です」という言葉に
端的に示されています。
つまりスローンは「プロのマネジメントとして権限を求めたが、
プロとしての責任も負っていた」のですが、
「その権限をプロとしてのマネジメントの領域に限定し、
他の領域では責任をもつことを拒否した」のです。
このことをもってドラッカー教授は、
「スローンが私の本を認めなかったのもそのためだった」と結論づけます。
理由が、それだけかどうかはスローンに聞いてみなければわかりません。
しかし教授は、スローンの考えに与することはできないとし、
今日の一言を述べるのです。
狭く限定することがGMの弱さの原因であると。
GMは、市場シェア、利益、売上高など尺度として物で測る限り大成功を収めました。
しかし社会的、政治的評価は高くないと指摘したのです。
このように責任を拡張する理由をドラッカー教授は次のように記しました。
「今日の複雑な組織社会においては、組織たるもの、
したがってそのマネジメントにあたるべきものは、
共通の善についての責任を果たさなければならない。
それを行えるものが、他にないからである。
歴史が教えるように、いかなる多元社会といえども、共通の善、公共の利益の実現は、
それぞれが利害の異なる限定された役割によっては期しえないからである」。
教授は、最後にスローンの考え方にも理解を示してこの章を終えます。
「望んだ以上のものを社会的責任として企業に要求することは、
企業に対し正統ならざる権力の行使を要請するとことに等しくもなりうる」と。
このことをスローンの潔癖と表現しました。
つまり現代の企業は「権限と責任は一対である」という原則を超えて
責任を負わなければならないとドラッカー教授は考えているのです。
一つ間違えば教授自身が述べたように専制となる危うさを抱えながら。
長くかかった本章もこれで終わりです。
それはGMのマネジメント、すなわちスローンに代表されるマネジメントが
体系化されたのちのマネジメントの原型になっていくだけの
蓄積と深みがあったことを物語っています。
時間の許す方は『企業とは何か』を一読することをお薦めします。
佐藤 等