数年間で体感した生の記憶を回想します【経営のヒント 440】
『傍観者の時代』最終章の第15章は「お人好しの時代のアメリカ」です。
ドラッカー教授自身がアメリカ上陸後、数年間で体感した生の記憶を回想します。
<ドラッカーの一言>
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あなたはアメリカについて書いているイギリスの
記者なんですね。
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『傍観者の時代』p.362 1979年 ダイヤモンド社
「あなた」と呼ばれたのはドラッカー本人。
この言葉を発したのはアメリカ中部のアイオワ州の都市デモインにある新聞
『レジスター』の編集長、ウィリアム・ウェイマックです。
『レジスター』は、誰が選んでもアメリカの有力紙10紙に選ばれるだろうと評されるほどの新聞でした。
ウェイマックは、1936、37年にピューリッツァー賞を受賞するほどのジャーナリストで
国際問題にも精通していました。
ウェイマックは、「私たちにとっては、外国特派員というとヨーロッパについて記事を書く
アメリカの記者のことなんですよね。でもあなたはアメリカについて書いているイギリスの
記者なんですね。」と興奮して、近くにいる記者たちにドラッカーを紹介しました。
興奮した理由は、「この時代ほど、ヨーロッパがアメリカで評価され尊敬された時代はなかった」からです。
当時のアイオワの人々は、自らを辺地と自覚していたのでなおさらです。
「外国特派員」、それが当時の職業だったのです。
渡米前、ドイツでアメリカ系の証券会社に勤務するなかで「アメリカ経済短信」を書き、
これが縁で後にフランクフルトで新聞社に入り、金融と外交の担当編集者となりました。
ヨーロッパ人が観るアメリカや世界を記事にしていました。
この視点は渡米後の「外国特派員」のものでした。
ヨーロッパ人だからこそ観えるものがありました。
こうして傍観者の目は鍛え上げられていきます。
さらに、ライターとしてアメリカの生活を始めたことは、彼の生涯を決定づけます。
渡米という人生の転機において、強みやワークスタイルを生かし
自らの社会における位置と役割を切り開いていった
若きドラッカー青年の姿が目に浮かぶようです。
佐藤 等