古典『大学』の冒頭にある結論ともいうべき三綱領【経営のヒント 627】
2年半続いた<原理のマネジメント>に一区切りをつけ、
前回から新しいテーマ<マネジメントと人間力>に取り組んでいます。
この試みは、ドラッカー教授の次の言葉から始まっています(前回も掲載)。
「マネジメントとは、科学であるとともに同時に人間学である。
客観的な体系であるとともに、信条と経験の体系である」
『マネジメント<上>』p.38
前回、マネジメントにも人間学という側面があり、
しかし東洋でいうところの人間学とは全く同じコンセプトではないことを示しました。
同じでないということは、共通部分が多ければ、相互に補完性が高い可能性があり、
マネジメントという道具の価値が増すことを意味します。
私が第一に注目したのは、『大学』です。
『大学』は、いわゆる四書五経の一つに数えられる儒教の基本書です。
作者は、孔子(BC551~467)と46歳違いの弟子、曾子(そうし)です。
『大学』は、文字数1733文字で四書五経のかなでも最少文字数です。
しかし軽く見てはいけません。
孔子の思想の入門の書であり、結論の書だからです。
偉大な小宇宙ともいうべき広がりと深さを持っています。
『大学』の冒頭部分には結論が書かれています。
しかしその前に、誰にとっての結論なのかを確認しおかなければなりません。
『大学』は「大人」(たいじん)のため、大人になるための要諦が書いてある書です。
大人とは、他に良い影響を及ぼす優れた人物のことです。
『大学』には、そのための理路(理論的な筋道)が書いてあります。
興味ありませんか?
さて『大学』冒頭の言葉です。
大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむに在り。
至善に止まるに在り。
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り」は、大人になるには、
生まれながらに与えられている徳性を発揮しなければならないという意味です。
「民に親しむに在り」は、直接の部下のみならず、組織全体にその徳性が浸透し、一体感をつくりあげていくという意味です。
ちなみに四書五経の時代における民は、多くの場合、農民(民草)を含みません。
四書五経は支配層を対象としていたということです。
「至善に止まるに在り」についてです。
至善(しぜん)、つまり絶対的な正しさ、道理や道義にかなっている状態をいいます。
単なる善ではありません。
善悪や損得は、基準が自分都合です。
自分には都合がいい(善)だけれども、道義的におかしいという場合、それは至善に反していることになります。
基準が「天」や「公」だということです。
さてここまで『大学』冒頭の言葉を紹介してきましたが、これを「三綱領」といいます。
別々のことを示しているのではなく至善という状態に至るために、自分の徳性を発揮して、その光を組織全体、国全体に及ぼす必要があることを示しました。
ここまで書いてきて思い起こされるのは、次のドラッカー教授の言葉です。
組織とは、個人としての人間一人ひとり、および社会的存在としての人間一人ひとりに貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。
社会的な目的を達成するための手段としての組織の発明は、人類の歴史にとって1万年前の労働の分化に匹敵する重要さをもつ。
組織の基盤となる原理は、(中略)「私的な強みは公益となる」である。
これがマネジメントの正統性の根拠である。
マネジメントの権限の基盤となりうる正統性である。
『マネジメント<下>』p.302
この言葉は、三綱領と相似形に見えませんか。
もちろん2000年以上前に企業のような組織はありませんでした。
組織といえば、国を治める行政組織しかありませんでした。
しかしその基本原理は同じだということです。
つまり、一人ひとりのもっているものを発揮して、公益のために役立てることです。
マネジメントが正統性をもつという状態は、大人たるべしということに他ならないのです。
次回は、大人たるための理路を示した八条目、それは人間力を上げ、マネジメントが社会的責任を果たすための筋道でもあります。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)