日本文化に根ざしてきた「人間学」をマネジメントにどう生かすか【経営のヒント 652】
9か月連載してきた<マネジメントと人間力(学)>についてですが、今回で一区切りとしたいと思います。今回の連載は、次の言葉から始まりました。
「マネジメントとは、科学であるとともに同時に人間学である。
客観的な体系であるとともに、信条と経験の体系である」
『マネジメント<上>』p.38
第一回目の昨年、2020年6月5日には、西洋には「人間学」にあたる言葉は存在しないこと、原文のhumanity、本来は人文科学と訳され哲学や心理学などを含む包括的な言葉であることを指摘し、「人間学」は、上田先生の翻訳に負うところが大である旨を書かせて頂きました。
ドラッカー教授は、「文化」についてこう述べます。
マネジメントは、文化とは無縁たりえない。それは社会的な機能である。したがって、文化に根づき、社会において責任を果たすものでなければならない。
『マネジメント』
日本文化に根ざしてきた「人間学」をマネジメントにどう生かすかは、日本におけるマネジメントの新しい課題といえます。9か月にわたって綴ってきた連載は、その嚆矢として何かの役に立てば幸いです。
しかし、上田先生をしてそう翻訳させた理由は、ドラッカー教授が持つ東洋思想への理解の深さにあったのだと思います。ひとり上田先生の思いということではないと確信しています。
それは、日本画に対するドラッカー教授の理解の深さを見れば明白です。つまり西洋の哲学の二分法・二元論(神と人間、主観と客観、現象と実在など)に対する、東洋思想の一元論(主客の一体、知行合一、心即理、現象即実在など)の差をよく理解していたということです。
詳細は、別の機会に譲りますが、水墨画の中に入り込んだ学生の事例を取り上げ、それを正しい在り方として紹介している姿がこれを象徴しています。水墨画というものに入り込む自己。そこから見えてくる新しい自己。このような世界観の中にドラッカー教授は、いたということです。
日本におけるマネジメントに「人間学」をどう生かすかを探索する旅はこれからも続きます。またこのテーマを取り上げることがあると思います。思索を深める時間を少し頂きたいと思います。
佐藤等