知識は自力で獲得しなければならない【経営のヒント 677】
知識社会は、上方への移動に制限がないはじめての社会である。
『経営の真髄』<上>p.76
1960年前後、社会は知識社会の入口に歩を進めました。知識社会は、米国で第二次世界大戦の帰還兵を希望により大学に入学させたことに端を発します。数年後、200万人ともいわれる大学卒業者が突如として社会に放出されました。
ドラッカー教授もはじめは懐疑的でした。つまり職につけない高学歴者が世にあふれると。しかし朝鮮戦争による好景気に支え得られこれらの人々は社会に吸収されていきました。
ドラッカー教授は、知識社会では知識労働、つまりコンセプトや体系、思考によって仕事をするといいます。最初の一団の大量の大卒の社会人は、知識労働を自ら生み出し、自分たちで居場所を作っていったのです。
この歴史的事実から70年以上が経ち私たちは、まさに知識社会のど真ん中にいます。知識が生産手段であり、それを個人が所有しています。その意味で現代は、知識の生産性を高めることで社会の上方への移動が可能な時代です。経済格差という問題の根本原因がここにあります。ドラッカー教授は、知識社会には「敗者もいれば勝者もいる」といいます。「競争がもたらす心理的な圧迫と精神的なストレス」という代償をともないます。
しかし一方で「知識は相続も遺贈もできない」といいます。有形の財産と違い一世代でリセットされます。それでも知識の生産性を高めた親の経済力がよりよい教育機会を子に与えるという教育機会の格差問題として残ります。
とはいえ知識は自力で獲得しなければなりません。教育機会を生かすも殺すも自分次第です。「みなが無知の状態からスタートする」のです。だとすれば、競争に立ち向かおうとする者は、知識社会における基本姿勢を身につけておかなければなりません。知識とは何か、どこで何を学ぶのか、知識の生産性はどのように高められるのかなど一度立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)