データをとるという行為【経営のヒント 840】
データをとられることは重視されたことを示す。
『経営の真髄』<下>p.123
自然科学などのハード・サイエンスの世界では、データをとるという行為によって現象が変化することもなければ、データをとる者や利用する者の意識が変化することもありません。
ところが企業活動などの複雑な知覚世界では、データをとることは主観的な行為です。なぜならデータは目的をもって整理され、集計され、形式化され「情報」になるからです。目的を定めるのは主観的な行為です。
たとえば決算書は典型的な「情報」です。株主や債権者、税務当局に一定の形式で報告する必要からどの企業も会計を行っています。企業活動の現状を「仕訳」というデータに置き換え、科目ごとに整理し、法定の形式に集計されます。
会計データは、法定されているのですべての企業がもっています。しかし、たとえば生産性に関する情報をもっている企業はどれだけいるでしょうか。
仮に生産性に関する重要な情報である一人当たり付加価値額を部門ごとに測定しますと宣言したらどうなるでしょうか。部門に所属している人は付加価値額を構成するデータを意識せざるを得なくなります。
「データをとる行為は、データをとられる対象とデータをとる者を変える。意味と価値を付与する。したがって、データに関わる根本問題は、何についてデータをとるかである」とドラッカーは言います。
本来、無目的にデータをとることはありません。しかし、データに目的を与え情報化し、これを道具として活用している度合いについては、それぞれの組織で雲泥の差があります。データを適切に情報化すれば、人はそこに意味と価値を見出し、自ら意識を向けます。
人の意識をどこに向けるかは、マネジメントの重要ポイントです。今一度、データと情報について見直してみたいものです。
佐藤 等(ドラッカー学会共同代表理事)