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≪「信頼」は「価値観共有」から≫

 暑い暑いといっていた今年の夏も終わり、氣がつけば秋風です。

 夏の終わりである8月の最終週末を利用して、知夫里島に行ってきました。「ちぶりじま」と呼びます。島根県の隠岐四島で一番小さな島です。信号もコンビニもない人口730人の島です。何のために?と聴かれますが、正確には誰も答えられません。「大人の修学旅行」と題して、参加者も目的も不明な旅に年に数回行くことがあります。そんな旅には、必ず誰かの「ここの、ここがいい」もしくは「ここに行って、この方に逢いたい」という想いが込められています。私たちは、「彼(彼女)がそう言うのだから行きましょう」となる。この行動は、端から見ているとトテモ不可思議な行動に映るらしい。しかし本人達には違和感がありません。

 家人にも「変だ」といわれるので、この機会に「変だ」といわれる行動を振り返ってみます。この行動の原点にあるのは、間違いなく「信頼」。これまで数度旅をし、行動を共にしているので期待値が事前にある程度予想できます。さらにその予想は、各人が勝手にするものなので本来は、結構一致しないハズです。ここで重要になるのが「価値観」。同じような価値観があると、予想はあまりズレない。

 ドラッカー博士が「信頼とは、予見の可能性である」といっています。つまり、仲間やチーム、組織の信頼性を高める一つの基盤が「価値観」を共有していることであるということがわかります。

 ・・ということが振り返って解析してみて判りました。納得。ということでここまで書いても、今回の旅の目的を明かしていないことに氣づきました。一つの目的は、看取りの家「なごみの里」で幸齢者(「高」ではありません)を看取ることをボランティアで行っている柴田久美子さんにお逢いすることでした。人生の最末期に寄り添いながら幸齢者と生きることで幸せな最後を支える。死生観というよりも、他人の死から目を背けることなく看取るからこそ、自分の生の素晴らしさを実感できるという思想に触れることができました。

 「価値観の共有」から生まれる信頼からは、かくも素晴らしい体験を得ることができます。「価値観共有」の手始めは、毎日顔を合わせる家族や所属する組織のメンバーからですね。

ナレッジアドバイザー 佐藤 等

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