「キッシンジャーをつくった男クレイマー」【経営のヒント 405】
今日は『傍観者の時代』第7章「キッシンジャーをつくった男クレイマー」からです。
ドラッカー教授のフランクフルト大学の同級生、フリッツ・クレイマーとの議論を中心に
構成されるこの章は、私の好きな章でもあります。
<ドラッカーの一言>
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重要なのは問いであることを知っていた
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『マネジメント<下>』p.171 1973年 ダイヤモンド社
私がこの章を好きな理由、それは若き頃のドラッカー青年が
「自分が何者か」を知るきっかけとなった出来事が記述されているからです。
自分を理解するという意味では、ほんの一端ですが
「他人に出会って己を知る」という顕著な例としてとても面白く読むことができます。
二人は、ゼミ以外では顔を会わせることもなく、
お互いファーストネームで呼び合ったこともなかったといいます。
つまりは、友達として親密だったという訳ではありません。
しかし二人は、「それぞれが互いを使って自分の考えを確かめていった」といいます。
なかなかあり得ない関係ですね。
さて、そんな人間関係下で二人の会話は、
「二〇代初めの常ではあるが多岐にわたっていた」といいます。
しかし「クレイマーの論点は、いつも三点だった。政治哲学についても例外ではなかった」と
ドラッカー教授は記しています。
政治哲学の三つの論点は、内政に対する外交の優位、外交における軍事力の優位、
大外相是か非かだったといいます。
二人の考えは、真っ向から対立していました。
しかし、お互いの人格を認め合いながら議論を進めていました。
その中で青年ドラッカーは、自分の考えに気づきあるいは構築していったといいます。
ちなみに生粋のプロシア精神の持ち主であったクレイマーは、ナチスにくみすることを
よしとせず、早々にアメリカに移り、陸軍に志願しました。
青年ドラッカーは、彼の夢を早くから聞いていました。
一つは軍の参謀長の政治顧問になること、もう一つが外相の顧問となることでした。
とても変わった夢です。
これはクレイマーが自身を「考える人間であって、動く人間ではない」と解っていたからです。
結果として両方の夢を実現します。
その最大の成果は、ニクソン政権で国務長官(外相)に就任した
ヘンリー・キッシンジャーを育てたことです。
さてドラッカー教授の方です。
教授は、クレイマーと正反対の考えをもっていました。
つまり、第一に、どちらが優位というのではなく
「バランスとトレードオフという最適化のコンセプト」の持ち主であることに気づきます。
「トレードオフとは害を最小にとどめる」という思考です。
第二に、軍事力によるバランス・オブ・パワーではなく
「経済や中級国を含めたバランスをとること、
そこには妥協と調整が必要である」という考えを
ドラッカー自身が持っていることに気づきました。
第三に、チーム・リーダーの人選は大物ではなく
「大物のあとは必然的に凡才となる愚を避けるために、
カリスマ性に依存するのではなく、
真摯さと献身によってリーダーとなる者」とすることが
重要であることに気づきました。
こうしてみるとドラッカー教授のバランスをとる姿勢、真摯さを求める人選など、
のちにマネジメントの基本として結実した考え方に、
この時、気づいたことになります。
これも縁というものなのでしょう。
人が人に影響を与える方法は多様であることを思い知らされます。
佐藤 等