「プロの経営者、アルフレッド・スローン」【経営のヒント 424】
今日も『傍観者の時代』の第14章「プロの経営者、アルフレッド・スローン」です。
11回目です。まだ続きます。
<ドラッカーの一言>
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10年前のあなたの研究がようやく実りましたね。
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『傍観者の時代』p.327 1979年 ダイヤモンド社
電話の声の主は、GMの元社長であるチャールズ・E・ウィルソン。
1955年、UAW(全米自動車労働組合)が補完的失業給付を
大勝利として発表したときのことでした。
1943年、ドラッカー教授がGMの調査に入ったとき、
一人ウィルソンだけが、ドラッカー教授のやっていることに関心を示しました。
そのときウィルソンは入院していました。
平時生産から戦時生産への移行の責任者として2年間、
一日も休まず働き、倒れたのです。
原因は疲労のための心臓発作でした。
医者からの半年間の休養要請を振り切り、3か月で復帰しました。
そしてドラッカー教授にこう尋ねたのです。
「やっていることを教えていただけますか」。
ドラッカー教授は、働く者一人ひとりのことを考えていました。
そのことを告げるとウィルソンの目が光りました。
「何か中間的な結論のようなものはありますか」とウィルソンから問いかけがあります。
教授は二つの点を報告しました。
第一に流動性を阻害したり人件費を硬直化させたりすることなしに、
働く者に収入を保証してやることでした。
第二に、仕事の設計、成果、福利厚生などの問題の責任を
職場コミュニティと呼んだ現場に持たせることでした。
教授は軍事生産において、工場で働いた経験さえない者が責任をもたされて仕事をし、
生産性を上げているという現実に注目していました。
この経験は平時生産においても忘れてはならないと。
ドラッカー教授は、「私のマネジメントと産業秩序についての仕事の中では、
職場コミュニティと責任ある従業員という考えが、最も独特であり、かつ重要」と考えていました。
しかし経営幹部、労組幹部はこの考え方に反対しました。
その中で「異端ともいうべき考えに理解」を示したのはウィルソンだけでした。
すぐにでも実行に移すべきと考えるドラッカー教授にウィルソンはいいました。
「いや、そういう実施の仕方はしないつもりです。組合に要求されて
渋々導入するという形になってほしいんです」。
「要求して勝ち取ったものでなければ納得しないんですよ」。
時を経てその作戦は実行され、1955年、UAW(全米自動車労働組合)が
補完的失業給付を大勝利として発表しました。
冒頭の電話は国務省に移っていたウィルソンからのものでした。
ドラッカー教授の興味の焦点が
特異でありながら本質的であったことを示すエピソードです。
佐藤 等