継続学習【経営のヒント 452】
引き続き継続学習についてです。ドラッカー教授は1969年という早い時期に継続学習について触れています。
<ドラッカーの一言>
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学ぶことについて誰かの助けを必要とするようでは、終生学びつづけることはできない。
(中略)情報、確認、動機づけのすべてを学ぶことのプロセスそのものの中に組み込んでおく必要がある。
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『実践するドラッカー行動編』p.150
原典―『断絶の時代』p.345
「学び」とは自分事です。自ら学ぶのであって、他人が学ばせることはできません。
教えることと学ぶことは基本的に異なるのです。
したがって「学ぶことのプロセス」を自分のものとしなければなりません。
知識社会では必須の能力です。
にもかかわらず「学習プロセス」について学ぶ機会はほとんどありません。
繰り返して言います。知識社会では学習プロセスを身につけることは必須です。
ところで「学習プロセス」とは何でしょうか。
ドラッカー教授の著作から次のプロセスを描き出すことができます。
大よそですが1~3を<機械的プロセス>、4~6を<理解のプロセス>と大別しています。
1.体系的な反復により情報を取得する(ex.言葉を暗記する)
2.情報の意味を机上で理解する
3.取得した情報を現実に適用する(言葉を使う)
4.適用により喜びを感じる
5.言葉を真に理解する(情報が知識に転化する=洞察insight=取得から習得へ)
6.習得した知識が定着していることを確認する
ポイントは<理解のプロセス>に先だって<機械的プロセス>があるということです。
私たちが落ちいりがちなのは、<理解のプロセス>から入ろうとすることです。
理解できない=難しいと感じてしまい学習プロセスに進まないことです。
習得、つまり身につけるというプロセスに至らないのです。
筆者はドラッカー教授の著作を読んで「理解しようとしてはいけない」とあえていうことがあります。
たとえば定義や目的を暗記しているから言葉という道具を使えるようになってくるのです。
頭の中に情報が入っているという状態は、言葉という道具をいつでも取り出せる状況にあることを意味します。
ドラッカー教授は「学習のプロセス」を終生学び続けるための能力として身につけることが重要であると指摘しました。
道具を現場で使ってはじめて「そういうことか!」という「喜び」が得られます。
何物にも代えがたい「動機づけ」になります。
「学習プロセス」を意識して身につけたいものです。
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<実践のための問い>
あなたが「体系的」に習得しなければならないことは何ですか?
佐藤 等