教養ある人間【経営のヒント 227】
長らく続いた『ポスト資本主義社会』も今日で最後です。
最終章第12章は「教養ある人間」についてです。
ドラッカー博士がいう「教養ある人間」とは、私たちが必要とする多様な専門知識を理解し、一般知識へ翻訳できる能力のことをいいます。なかなかレベルの高い話です。
古色蒼然とした過去の遺産を後世に伝えるという意味の「教養」とは異なるものです。
今日の一言です。
<ドラッカーの一言>
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知識は人の中にある。それゆえに知識社会への移行とは、
人が中心になることにほかならない。
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『ポスト資本主義社会』 1993年 ダイヤモンド社より
「知識は本やデータバンクやソフトウエアの中にはない。そこにあるのは情報にすぎない」というようにドラッカー博士のいう知識は、私たちが日頃使っている「知識」とは異なるものです。
このことは、この【経営のヒント】でも繰り返し述べています。
人が所有し、使い、その結果成果が出たり、失敗したりするものです。
知識は一種のエネルギーみたいなものですが、目に見える存在ではありません。
かつてドラッカー博士は、社会の代表的な人物像を「経済人」、「産業人」などとし著書名(『経済人の終わり』、『産業人の未来』)にも用いました。
来るべき時代の代表的人物像は「教養人」だといいます。
時代を代表する人=主流派ではありません。理想とする人です。
例えばイギリスにおける紳士や日本における武士がこれに当たります。
人口の多数を占めたわけではありませんが、その時代の範として社会をリードします。
つまりドラッカー博士が「ポスト資本主義社会」と呼んだ次の時代は「教養人」がリーダーとなり時代を牽引することになります。
私たちが大学時代習った?「一般教養」とは似ても似つかないものです。
専門知識を一般知識として伝えるということは、「教養人」は専門知識を持ったものであることが最低条件となります。そのうえで一般知識への翻訳能力が要求されます。
専門バカとは、対極の存在です。
「教養人」の役割は、組織の中で他の分野の専門家、例えばマーケティングの専門家に情報や知識を伝える役割を担います。
組織の中において「貢献の連鎖」を形成するのに欠かせない人材です。
「教養人」は、知識を価値に変えることを期待される人材でもあります。
したがって教養人は、「成果をあげる能力」やリーダーシップ、アントレプレナーシップなどを修得した人材であることが求められます。
だんだんハードルが高くなるのですが、それがこれからの時代が求める人材像なのです。
一歩ずつですが着実に新しい社会へと歩みを進めたいものです。
佐藤 等