社会セクターによる市民性の回復【経営のヒント 222】
『ポスト資本主義社会』、第9章「社会セクターによる市民性の回復」は、ドラッカー博士の問題意識の根底にあるものに直結した1章です。
まずは「今日の一言」からです。
<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
今後あらゆる先進国が、独立したコミュニティ組織からなる
社会的セクターを必要とする。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆! ☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『ポスト資本主義社会』 1993年 ダイヤモンド社より
ドラッカー博士の問題意識の根底には、第一次世界大戦で崩壊した「絆」の復興があります。
一人ひとりが位置と役割をもって結びつく社会を「機能する社会」とし、その社会の実現のためには何が必要かを問い続けました。
ここにドラッカー思想の原点があります。
ドラッカー博士は、はじめ「企業」がその役割を果たすと仮説を立てました。
この仮説に一番近づいたのは世界の中で日本でした。
つまり企業が一人ひとりの位置と役割を与え、そこにある種の絆を形成したのです。
この絆は、一昔前の地域コミュニティのイメージに近いものです。
地域の悪ガキをつかまえてうるさ型のガミガミオヤジ(他人です)が叱り飛ばす。
成人になってもあのオヤジには頭が上がらないといったイメージです。
あるいは、「お醤油が切れたから隣の家に行って分けてもらってきて」と母親が子供に言っているイメージです。
これは私の子供の頃のイメージでが、こんな様子は、地方都市でももう何十年も前に無くなっているのかもしれません。
そんな機能を持ったコミュニティとして、同時代の日本の企業は機能していたはずです。
社員の家族が参加する大運動会、旅行などが盛んに行われた時期でもあります。
おそらく今でも日本の企業は、コミュニティとしての役割を世界で一番果たしている国だと思います。
今ではだいぶ減ったと思いますが、会社の同僚、部下などと赤提灯で一杯やりながら、 話題は仕事。そんな風景が目に浮かびます。
しかしその日本でもドラッカー博士の思いは、道半ばで停滞、あるいは途絶しました。
企業のコミュニティ性は低下するばかりです。
アメリカでは建国当時から今まで教会がそのコミュニティの役割を果たしてきたといいます。
経済組織にコミュニティ性を求めた日本。
信仰に求めたアメリカ。
とても対照的です。
そういえばアメリカの大統領は聖書に手を置いて宣誓します。
神の国アメリカともいうべき光景です。
教会も企業も現代社会では、絆を希薄化させる方向に向かっていきます。
都市への人口の集中、組織の大規模化などで一人ひとりにスポットが当てられる機会が極端に低下しているのが現代社会の特徴です。
一人ひとりという意識よりも組織の意思が優先される時代においては、「市民性の回復」が各所で渇望されています。
そんなとき必要とされる場が社会貢献することができるNPOなどの社会セクターです。
そこでは、個人の力で貢献を実感することができます。
また自発的に嬉々として責任を受け容れ働きます。
そして世の中の役に立っているという実感を体験することができます。
現代社会において私たちは、ドラッカー博士が戦争直後に感じた「絆」の喪失感を、当時より大きく感じているのではないでしょうか。
企業や教会といった旧型のコミュニティではなく、現代社会には現代社会にふさわしいコミュ二ティが求められています。
皆さんとともに活動中のナレッジプラザがそのような役割の一翼を担うことができればと日々自問自答しているところです。
何よりも「一人ひとり」という意識が大切だと思っています。
個が組織に、組織が地域に影響を及ぼす。
そんな流れができあがると楽しいですね。
皆さんの積極的な関わりが新たな価値を創造することを信じております。
佐藤 等