ポスト資本主義社会【経営のヒント 522】
1993年『ポスト主義社会』を著したドラッカー教授は
現在の世界の混乱を予見していました。
それは一つの解釈から始まっています。
「信仰としてのマルクス主義が崩壊したことは、
社会による救済という信仰の終わりを意味した」
「意味」はドラッカー教授が多用する人々の価値の転換を表す
表現です。
さらに言います。
「これにとって代わるものが何かは不明である。
われわれはただ期待し、祈ることができるだけである」
当時のドラッカー教授の目に映ったものは、
アメリカのメガチャーチとイスラム教の原理主義の
再興でした。
「原理主義を熱狂的に信奉する現代のイスラム世界の
若者たちも、40年前ならば同じように熱狂的な
マルクス主義者となっていたかもしれない。
あるいは、さらに新しい宗教が現れるのであろうか」。
イスラム原理主義の台頭と新興宗教の興隆の同根ということ
でしょうか。
いずれにしても人々は心を寄せるものを失いつつあります。
<ドラッカーの一言>
●―○―●―○―●―○―●―○―●―○―●―○―●
今後、救済、復活、精神、善意、徳を体現した、昔の言葉で
いうところのいわゆる新しい人間が、社会的な目標や
政治的な処方としてではなく、具体的な実存として求め
られるようになるに違いない。
●―○―●―○―●―○―●―○―●―○―●―○―●
『ポスト資本主義社会』p.17
社会による救済という幻想から解放され、政治の限界を見つめると、
残る重要な領域は人間です。
この一世紀ほど経済という手段を目的と勘違いして
生きてきた人類に残された重要な領域です。
実存としての新しい人間が求められています。
「救済、復活、精神、善意、徳」の体現です。
救済や復活は新しい宗教を連想させます。
精神はジェントルマン精神のようなものでしょうか。
善意はドラッカー教授の強みに連なって見えます。
徳は徳川時代の徳治政治や孔子の理想社会を想起させられます。
日本にも実存としての新しい人間像を提供するチャンスが
あると確信しています。
世の中を変えるものは、まったく新しいものではなく
人類の歴史の中に保存されてきたものの中にしかないからです。
佐藤 等