教育革命の必然性【経営のヒント 196】
第4部『知識の時代』、第14章は「教育革命の必然性」です。
ゆとり教育からの転換が叫ばれていますが、詰め込み教育かゆとり教育かという議論は、円周率を3と教えるというような質の問題も含んでいましたが、主に授業時間と分量の問題として捉えられていました。
ところが今日のドラッカー博士の言葉は、趣が違います。
1969年から40年の時を経ていますが、日本の状況はどのように変わっているのでしょうか。
それでは今日の一言です。
<ドラッカーの一言>
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学校は、人が人となるうえで必要なこと、および意味あることを
行ううえで必要なことを学ぶところとならねばならない。
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エターナル版『断絶の時代』1969年 ダイヤモンド社より
「人が人となるうえで必要なこと」=人間的成長の糧、つまり道徳教育は、戦争と結びついた忌まわしい過去と切り離すことができずに今に至っています。
昨今の殺伐とした事件を見聞する度に失った時間の重さをヒシヒシと感じます。
東洋思想に端を発する、徳や道、善や仁などについての学びの場は一刻も早い再構築が望まれます。
さらに「意味あることを行ううえで必要なこと」とは、単なる知識ではなく行動を通して成果をあげる能力を学ぶことを指しています。
これらについては、主として高等教育での修得が期待されていますが、ご存知の通り実態は心もとない限りです。
ドラッカー博士は「今日の一言」に示すように、ある種の理想を語りました。
この言葉は、当時のアメリカで高等教育が普及し、教育期間の長期化が実現しつつあることを踏まえています。
さらに「知識社会」にあって今後ますます生涯にわたり継続して学習する必要性が高まることを背景にしています。
大いなる質の転換が、洋の東西、古今を問わずあまり進展していないのは事実です。
しかし「知識社会」は、40年前の現実と異なります。
知識労働者が大半を占める現代において知識の装備率は、生産性を決定付けます。
加えて成果をあげる能力を身につけていることが絶対的な条件です。
学校教育が心もとない中、私たちは自己防衛しなければなりません。
ナレッジプラザでは、昨年「学びランド北海道」計画を宣言しました。
学びで自己と組織と地域を変えようという志から発したものです。
さらに今年、成果の方程式として「成果=知識力×実践力×継続力」を提示しています。
ドラッカー博士の教えなどの知識力、西田文郎先生のプレイントレーニングなどの実践力、松村寧雄先生のマンダラ思考などの継続力を高める学びの場を継続的に開催しています。
「知識社会」に生きる知識労働者として共に成長し、成果をあげてゆきたいと思います。
佐藤 等