渋沢栄一翁とドラッカー教授が見た企業と道徳について【経営のヒント 638】
<マネジメントと人間力>というテーマは、次の言葉から始まりました。
「マネジメントとは、科学であるとともに同時に人間学である。客観的な体系であるとともに、信条と経験の体系である」
『マネジメント<上>』p.38
「信条と経験」という言葉が示すように、組織や地域、国などの価値観を反映したものという要素がマネジメントには元々織り込まれています。日本という国の信条と経験、つまり日本文化や日本の慣習を反映したマネジメントが存在するということです。
伊與田覺先生が社会人に必要なものとして挙げられた<知識、技術、習慣、道徳>のうち習慣や道徳は、そのようなものの象徴的な表現です。
道徳に似た言葉に倫理があります。倫理は、哲学の一角にある学問領域で、道徳よりも普遍性の高い社会的な規範と考えられます。
ドラッカー教授の言葉の中にも倫理に属する言葉があります。
プロフェッショナルにとっての最大の責任は、2500年前のギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にはっきりと明示されている。「知りながら害をなすな」である。
『マネジメント』
現代社会では組織で働く者の多くは、プロフェッショナルであることを顧客から期待されています。プロフェッショナルであれば一番よく知っている立場にあり、情報の質や量において劣る顧客に対して、ウソ偽りがないことを当然の前提条件としているかを問うているのです。
倫理とはこのように古今東西に普遍性のある社会的な規範をいいます。その意味で伊與田覺先生が挙げられた「習慣・道徳」に並ぶ、あるいは倫理もこれらに当然に含まれると考えて間違えありません。それゆえ倫理もまたマネジメントに必要なものであるといえましょう。
さて残るは道徳(徳性)です。これに関してドラッカー教授は、次の言葉を残しています。
日本では、官界から実業界へ転身した渋沢栄一(一八四〇~一九三一)が、一八七〇年代から八〇年代にかけて、企業と国益、企業と道徳について問題を提起した。のみならず、マネジメント教育に力をいれた。プロフェッショナルの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった。明治期の日本の経済的な躍進は、渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかった。
『マネジメント』
渋沢栄一翁が『論語と算盤』(1916)を著したことはよく知られています。上記文章からドラッカー教授は、企業と道徳について目を向けていたことがわかります。両者の考えが通底していることを示す代表的な文章を並べてみます。
富を創るという一面には、常に社会的恩義あるを思い。徳義上の義務として社会に尽くすことを忘れてはならぬ。
『論語と算盤』企業は、自らにとっての利益の追求が、自動的に社会的責任の遂行を意味するよう経営しなければならない。
『会社とは何か』(1946)
いかがでしょうか。利益と責任という観点から両者の考えは酷似しているように思えます。伊與田覺先生は、人間力の中でも道徳を社会人に必要なものと位置づけました。道徳とは、高い規範性をもった社会的ルールと言えます。
組織を社会的な道具であると位置づけたドラッカー教授の考えからすると利益も社会のものであり、それを追及する意味も、その使い方も社会的責任を帯びたものでなければならないのです。社会的責任と道徳は、同一のものではありませんが広く社会規範という意味では軌を一にしているといえます。日本の組織のマネジメントにおいては、人間学の中核にある道徳を用いることも大いに意味のあることではないでしょうか。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)