親炙(しんしゃ)と私淑(ししゅく)という言葉【経営のヒント 650】
今回も「どのように人間学を学ぶのか」という観点からお伝えしたいと思います。以下に示すように、昨年後半から取り組んでいる<人間学マップ>の3つの大項目の一つです。
<人間学マップの項目>
(1)なぜ人間学を学ぶのか
(2)どのように人間学を学ぶのか
(3)人間とは何を学ぶのか
(2)「どのように人間学を学ぶのか」について前々回は、「読書尚友」―書を友とし、己と向き合い、己を高める―を挙げ、前回は、「人生にテーマをもつ」という方法について述べました。
今日は、読書尚友とともに重要な学びの源泉について考えてみたいと思います。親炙(しんしゃ)と私淑(ししゅく)という言葉があります。どちらも師を意味する言葉です。
親炙は、直接、師に接しながら感化を受けていく学び方です。これに対して私淑は、会ったことがない人物を師と定め、その言動から学ぶ方法です。会ったことがないということは、古今東西の聖賢、偉人を師と定めることができるということです。つまり、選び放題です。
私淑の場合、基本は書物から学ぶことになります。その意味では、読書尚友を別の表現に置き換えたものともいえます。現代では動画から学ぶなども含まれそうです。
師友という言葉があります。師と友を併置しています。我以外皆我師(自分以外の者はすべて師)という考え方からすれば、師も友も学ぶ対象としては同じともいえます。いずれにしても学びの源泉として「人」があります。
単に「人」といっても、その人の姿勢、言葉、行動から学ぶということです。直接触れる場合もあり、書物など間接的な場合もあります。よく伝記を読めと言われますが、その意味は、聖賢、偉人の言動から学ぶということです。
人と書物から学ぶ。学びの基本といえます。書物も伝記のように人をとおして学ぶことで、自分に置き換えやすくなり、偉人の行動の源泉である思想や思考を修得しやすくなります。
ドラッカー教授は、自身の「人生を変えた7つの経験」http://d-lab.management/?p=2501を述べたあと、振り返ります。
私は、これまでの長い間、クライアントの組織の有能な人たちに必ず、同じ質問をすることにしてきた。それは「いかにして成果をあげられるようになったのか」である。事実上、ほとんどの答えは同じだった。私と同じように、「もうだいぶ前に亡くなったむかしの上司のおかげだ」と答える。(中略)少なくとも私の経験では、このことを自分で発見した人はいない。誰かが言ってくれなければ分からないことである。
『プロフェッショナルの条件』
人から学ぶ。それが学びの基本であることがわかります。ドラッカー教授の「人生を変えた7つの経験」をよく読むとギリシア時代の彫刻家の話なども出てきます。これらの人とドラッカー教授は直接会ったわけではありませんのでこれらの情報は、書物から得たことがわかります。人と書物から学ぶ。学びの原理原則といえましょう。あなたは、どんな人、どんな本から学んでいますか。
佐藤 等(ドラッカー学会理事)