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傍観者の時代【経営のヒント 394】

先月からメルマガは『傍観者の時代』というドラッカー教授の
半自伝といわれている著書を題材にお伝えしています。
今日の一言は、著書のタイトルとも深く関連する言葉です。

<ドラッカーの一言>
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私が傍観者であることに気づいたのは一三歳
のとき、1923年11月11日のことだった。
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『傍観者の時代』p.1 1979年 ダイヤモンド社

『傍観者の時代』、ADVENTURES OF A BYSTANDER は、ドラッカー教授の生きた時代を
第三者の視点をとおして描いたものです。 BYSTANDER、傍観者、ドラッカー教授は
自らの存在をそう位置づけました。

書き出しでその特徴を次のように印象深く述しました。
「傍観者自身に取り立てての歴史はない。舞台にはいるが演じてはいない。観客でもない。
少なくとも観客は芝居の命運を左右する。傍観者は何も変えない。
しかし、役者や観客とは違うものを見る。違う角度で見る。反射する。
鏡ではなくプリズムのように反射する。屈折させる」。

1923年11月11日は第一次世界大戦が終わり、オーストリア=ハンガリー帝国は分割され、
人口10分の1、600万人の小国になった日でした。
社会主義者の街になっていた首都ウイーンは沸き立ち、青年団のデモの先頭に13歳のドラッカー少年もいました。
ところが突然「僕のいるところではない」と気づき、持っていた旗を隣の女子学生に渡し、その場を離れました。

13歳で傍観者としての自覚をもち、社会を観る目をもって生涯をすごし、
舞台の袖から役者を観て、観客を見続けました。
その立ち位置があったからこそ「マネジメント」という方法論も体系化できたと言えるでしょう。
つまり一歩下がって、経営の現場を見て、これは一般化できるものなのかどうかを判断し、
一般化可能なものを原理と方法にまとめました。
それらを体系化し、マネジメントが誕生しました。

また『断絶の時代』『ポスト資本主義社会』に代表される社会生態学の著作群も
社会を傍観者として観察した賜物です。
「新しい現実」が観えてしまう存在がドラッカー教授だったのです。

私たちも、舞台でもなく観客席でもない位置に自らを置くことができれば、
これまでとは違ったものが観えてくるでしょう。
「客観視する」という方法は「我の意識」を薄めることです。

ドラッカー教授が「私ではなく」「われわれ」というべきであることを指摘したのもその流れの中にあります。
さらに「反対意見を聞け」というドラッカー教授の言葉も、傍観者でも見えない部分を見る工夫でもあります。

今日は、多面的に物事を観ることができたドラッカー教授の原点体験に基づく話題をテーマにしました。
実は11月11日はドラッカー教授が亡くなった日でもあります。
2005年、95歳までちょうど82年間、傍観者を続けたことになります。

佐藤 等

ドラッカー教授

佐藤 等

<実践するマネジメント読書会®>創始者。『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズ5冊の著者。ドラッカー学会理事。マネジメント会計を提唱するアウル税理士法人代表/公認会計士・税理士。ナレッジプラザ創設メンバーにして、ビジネス塾・塾長。Dサポート㈱代表取締役会長。
ドラッカー教授の教えを広めるため、各地でドラッカーの著作を用いた読書会を開催している。公認ファシリテーターの育成にも尽力し、全国に100名以上のファシリテーターを送り出した。誰もが成果をあげながら生き生きと生きることができる世の中を実現するため、全国に読書会を設置するため活動中。
編著『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズは、20万部のベストセラー。他に日経BP社から『ドラッカーを読んだら会社が変わった』がある。 2019年12月『ドラッカー教授 組織づくりの原理原則』を出版。 雑誌『致知』に「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」連載投稿中

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