「マーチャント・バンクの世界」【経営のヒント 408】
今日は『傍観者の時代』第10章「マーチャント・バンクの世界」からです。
この章は、24歳のドラッカー青年とマーチャント・バンクの創設者フリードバーグ氏との初期の物語です。
<ドラッカーの一言>
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彼らのために私は何をすべきだろうか
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『マネジメント<下>』p.231 1973年 ダイヤモンド社
1934年、24歳のドラッカー青年は、ロンドンで
マーチャント・バンク、フリードバーグ商会で職を得ました。
就職の条件は「証券アナリスト兼エコノミスト」「リポート執筆者」「パートナー秘書」の
三役を兼ねることでした。
働き出して数週間後の金曜日、三人のパートナーのうちの一人、
フリードバーグ商会の創設者であるフリードバーグに呼び出され、こう告げられます。
「きみほど仕事ができない人も珍しいね」。
驚く青年ドラッカー。
雇用機会を作ってくれたパートナーからは、毎日のようにほめられているのに・・・。
「何かしてはいけないことをしましたか?それともしなければいけないことで
何かしてほしいことでもありましたか?」
「君はわが社の共同経営者の秘書役だ。ところが君は給料に見合ったことをまったくしていない。
今日は金曜日だ。来週の火曜日に、これから何をやるつもりかを書き出して来てほしい。
秘書役としての仕事の中身だ」。
ドラッカーは証券アナリストの仕事ばかりしていた点をとがめられたのです。
翌火曜日、書き出したものを見せると「八〇点だね。二〇点ほど不足している」とフリードバーグ。
「何が抜けているのでしょうか」と問い返すドラッカー。
「それを考えることも君の仕事ではないかね」
そのとき初めて自分が秘書役となっている三人の共同経営者のことを
真正面から考えたといいます。
「彼らのために私は何をすべきだろうか」と自問します。
こうして得た答えは、「フリードバーグが好きで得意な仕事、
つまり取引を存分に行えるようにすること」でした。
それに気づいたドラッカーは、フリードバーグが、電話での取引後に
注文伝票を16片に切り刻んで屑籠に捨てる癖を補うため一計を案じました。
「私が確認するまで屑籠を空にしないように」。
会計係からの苦情はなくなり、フリードバークは初めの子供が
初めて歩いたときのような喜びを見せたといいます。
ドラッカー青年は肝に銘じます。
「仕事やポストが変わったらなすべきことは何か自問せよ」と。
佐藤 等