ホーム経営のヒント数年間で体感した生の記憶を回想します【経営のヒント 441】

経営のヒント

HINT

経営のヒント

数年間で体感した生の記憶を回想します【経営のヒント 441】

今月も『傍観者の時代』、最終章の第15章は「お人好しの時代のアメリカ」からです。
ドラッカー教授自身がアメリカ上陸後、数年間で体感した生の記憶を回想します。

<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
ヨーロッパ人にとってアメリカとは
国ではなく政体だった。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『傍観者の時代』p.364 1979年 ダイヤモンド社

ドラッカー教授は「当時もいまも、政治家が聖人になっているという
世界で唯一の国である」と記した。
当時とはドラッカー教授が渡米した1930年代、今とはこの著作が出版された1979年頃です。
そしてそれは現在も続いています。

確かに国土があり、人が住んでいる地域です。
しかし地域は世界でも稀な「一つの普遍的な理念が所在する空間」であると教授は述べました。
それがヨーロッパ人から見える現実でした。
1831年、フランスのアレクシ・ド・トクビルはアメリカ中を9カ月間旅して観たものを
克明に記録しました。
のちの『アメリカの民主政治』です。

ドラッカー教授は「そもそもアメリカには、土着の芸術は一つしかない。
ほかならぬ政治である」と表現しました。
つまりアメリカで目にする珍しいものが政治だったのです。
「アメリカへ来た者は、際立って抽象的な理念、すなわち合衆国憲法に忠誠を誓うことによって
アメリカ市民になる」と当時の自身の経験を記しました。

当時のアメリカとは、リンカーンのいう「最後にして最良の希望の地」でした。
そのようなアメリカに惹きつけられて渡米したヨーロッパ人のことごとくが、
時を置くことなくヨーロッパ人であることをやめました。
他ならぬドラッカー教授自身がそうだったのです。

普遍的な理念を守るということは孤立主義を意味しました。
モンロー主義です。
しかし当時のアメリカは、最も苦手とする問題、国際問題に直面していました。
国際関係の現実は外交優位を要求していました。
アメリカは大きな転換期に差し掛かっていたのです。

佐藤 等

ドラッカー教授

佐藤 等

<実践するマネジメント読書会®>創始者。『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズ5冊の著者。ドラッカー学会理事。マネジメント会計を提唱するアウル税理士法人代表/公認会計士・税理士。ナレッジプラザ創設メンバーにして、ビジネス塾・塾長。Dサポート㈱代表取締役会長。
ドラッカー教授の教えを広めるため、各地でドラッカーの著作を用いた読書会を開催している。公認ファシリテーターの育成にも尽力し、全国に100名以上のファシリテーターを送り出した。誰もが成果をあげながら生き生きと生きることができる世の中を実現するため、全国に読書会を設置するため活動中。
編著『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズは、20万部のベストセラー。他に日経BP社から『ドラッカーを読んだら会社が変わった』がある。 2019年12月『ドラッカー教授 組織づくりの原理原則』を出版。 雑誌『致知』に「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」連載投稿中

関連記事