「お人好しの時代のアメリカ」【経営のヒント 443】
いよいよ『傍観者の時代』の最終章の第15章「お人好しの時代のアメリカ」も大詰めです。
<ドラッカーの一言>
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エイガーとウェイマックは私の考えを聞きたがった。
ルイスは一方的に演説をした。
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『傍観者の時代』p.370 1979年 ダイヤモンド社
前回のメルマガで記したのがエイガー。
また3回前には、ウェイマックについて述べました。
どちらも第一級のジャーナリストでした。
今回は、ジョン・L・ルイス。
労働組合のカリスマ的なリーダーで、全米合同炭鉱労働組合(UMW)の会長、
産業別労働組合会議(CIO)の創立者です。
年に1回、都合3~4回ワシントンの彼の事務所で、2~3時間のインタビューで会った
だけだというのに、この人物の動向を「私が最も気にしていた」と評したのです。
どの点について気になっていたのか?
そのことが気になります。
1937年の半ば、初めてインタビューした時、多くの国民はすでに大統領と
彼の名前だけは記憶しているほどの著名人でした。
顔や姿、声までが馴染みの存在でした。
ドラッカー教授によれば、
彼は「自分に関心のあることについてだけ話した」といいます。
彼の関心は外交にありました。
彼自身の孤立と凋落、労働組合運動の腐敗、アメリカの没落までを外交政策のせいだと
主張していました。
しかし、その時すでに彼は孤独でした。
原因は対抗しうる者すべてを放逐し、自らが孤独であることの責任を外交に帰していたことでした。
彼はその後10年間、1946年に炭鉱ストをはったりと見て取ったトルーマン大統領に
敗れるまで権力を掌握していました。
最後のインタビューで彼は
「すでにフランスとオランダの植民地を手に入れた。次はイギリスだ。
こうしてアメリカは、最後にして最良の希望の地だったことを忘れ、
世界を救うために帝国主義大国になるというローズヴェルトの宣言に
拍手を送ることになるんだ」とまくしたてました。
他責の著名人が孤独の中にいる様を描いたドラッカー教授。
「私が最も気にしていた」のは、政治が外交問題と戦争を招来させ、
労働問題に反映される姿だったのではないででしょうか。
ドラッカー教授は、孤独の中にあったルイスという人物に外交方針が影響を与え、
人と人の生活、経営の未来を変えることにマイナスの可能性を見ていた人物の存在が
気になっていたのではないでしょうか。
国際化の時代の幕開けの匂い漂うエイガー、ウェイマック、ルイスの物語です。
佐藤 等