ポスト資本主義社会【経営のヒント 210】
もう一つ『ポスト資本主義社会』 の序章から一言をお伝えします。
この著書が1993年発刊ですから、ここでいうテロリズムは1990年の湾岸戦争のことです。
1989年のベルリンの壁崩壊が冷戦体制の終結点であり、1990年がテロとの戦いが始まったときだったのです。
世界の対立構造が国家間から国家連合対テロに変わりました。
あれから約20年が経とうとしています。
テロばかりではなく、1992年のヨーロッパ連合成立、1994年G8の枠組みでサミットが開催されるようになるなど世界は確実に国家連合・連携の時代になりました。
ここ十数年で、国家を超えて…が一つのトレンドになったのです。
<ドラッカーの一言>
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かつていかなる場合においても、あらゆる国が
テロリズムの防圧という世界のコミュニティに
共通する利益を自国の国民感情や利益に
優先させたことはなかった。
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『ポスト資本主義社会』 1993年 ダイヤモンド社より
このことはリーマンショックで私たちが体感しているように、いまや経済の問題も国家連合・連携での対応が不可欠な時代になっています。
ドラッカー博士の1993年当時の考えはこうです。
国家が何でもできるという、「社会による救済」神話は崩れ去り、かつてそれぞれの国が持っていた機能を対外的には分担して保持する時代になったといいます。つまりグローバルと今私たちが呼んでいる時代です。
今後もグローバルな視点で対応を求められる事態が増えていくことは間違いありません。
一方で対内的には機能分化が起こるということです。
ここでも国家に残す機能は何かが問題になります。
地方分権化の動きは、まさにこのことと軌を一にする動きです。
つまりローカル化されるものは何かという視点です。
最終的に国家には必要最低限が残ることを時代は志向しているようです。
グローバルが一種の統合、ローカルが分化を示す動きです。
国家が必要最低限を志向するようになると、私たちはよりどころを何処に求めればいいのでしょうか。一つの方向をドラッカー博士が次のように示しています。
「内面への志向が始まる。改めて個人、すなわち人間が重視される。
さらには、個人の責任への志向さえ生まれるかもしれない」と。
21世紀が「心の時代」といわれるのは、そんなところに原因があるのかもしれません。
かつてドラッカー博士が能力やスキルなどの外なる成長の他に、内なる成長が必要になると見通したように、いま私たちは内面を磨き鍛える時代の真っ只中にあるといえるのではないでしょうか。
佐藤 等