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人生を変えた七つの経験【経営のヒント 200】

今日からお伝えするのは、ドラッカー博士が「人生を変えた七つの経験」と呼ぶものです。
収録は『プロフェッショナルの条件』2000年です。
この本は、上田惇生先生の編集によるもので、原典は『ドラッカー・中内往復書簡~創生のとき』1995年です。
絶対お薦めの人生指針です。

<ドラッカーの一言>
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「いつも失敗してきた。だから、もう一度挑戦する必要があった」。
わたしはこの言葉を忘れたことがない。
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『プロフェッショナルの条件』2000年 ダイヤモンド社より

「人生を変えた七つの経験」は、ドラッカー18歳から40歳までの経験を記したものです。
第一の、経験に関するものが今日の一言です。
高校を出たドラッカー少年が見習いとして勤めた先がハンブルグの綿製品の商社。
同時にハンブルグ大学に通っていました。
勤務時間は朝7時半から夕方4時まで、土曜は半ドン。
学校は授業に出なくてもよかったそうです。
それゆえ、恐ろしく暇だったと回想しています。

この天から与えられた時間の大半をドラッカーは近くの図書館で過ごします。
そして週一回は大学生の特権で、タダでオペラを聴きに行ったと言います。
そのとき出会ったのが一九世紀の作曲家ヴェルディが最後に書いたオペラ『ファルスタップ』。
ドラッカーはある夜、初めてこの曲に出会います。
「私は圧倒された…あの夜の衝撃は、その後一度たりとも忘れたことがない」と述べています。

そして調べました。そこで八〇歳の高齢で作った楽曲であることを知ります。
当時の平均寿命は五〇歳そこそこ、八〇歳の人は珍しかったそうです。
そして知ることになります。
「すでにワーグナーと肩を並べる身でありながら、しかも八〇歳という年齢で、なぜ並はずれて難しいオペラをもう一曲書くという大変な仕事に取り組んだのか、との問いに答えた彼の言葉を」。
その言葉こそが、今日の一言です。

一八歳当時、名をあげていたヴェルディ。それにひきかえ自分は…。
一つの決意が生まれました。
「いつまでも諦めずに、目標とビジョンをもって自分の道を歩き続けよう、失敗し続けるに違いなくとも完全を求めていこう」と。
ドラッカー少年は、一生の指針を胸に歩き始めました。
そして八〇年近く歩き続け、未踏の高みに到達しました。
当時予想もしなかったレベルにまで達しました。
あの巨人ドラッカーにも、こんな青雲の志についての物語があったのです。
ドラッカー博士は、目標とビジョンを追及することは老いることなく成熟するコツだといいました。
何処まで到達するかというよりも、何を目指して進んでいるかが大切なのだということを教えてくれる、心に残るエピソードです。

皆さんに月三度お届けしている【経営のヒント】がお蔭様で200号に達しました。
このメール便はナレッジプラザの歴史と共にあります。
足掛け6年目で現在は200名を越える方が読まれています。
一年前は約160名でした。そのまた1年前は約80名くらいでした。
これから何人の方に読んでいただけるかを想像するだけでもワクワクします。
この機会に改めて皆様に感謝申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

佐藤 等

ドラッカー教授

佐藤 等

<実践するマネジメント読書会®>創始者。『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズ5冊の著者。ドラッカー学会理事。マネジメント会計を提唱するアウル税理士法人代表/公認会計士・税理士。ナレッジプラザ創設メンバーにして、ビジネス塾・塾長。Dサポート㈱代表取締役会長。
ドラッカー教授の教えを広めるため、各地でドラッカーの著作を用いた読書会を開催している。公認ファシリテーターの育成にも尽力し、全国に100名以上のファシリテーターを送り出した。誰もが成果をあげながら生き生きと生きることができる世の中を実現するため、全国に読書会を設置するため活動中。
編著『実践するドラッカー』(ダイヤモンド社)シリーズは、20万部のベストセラー。他に日経BP社から『ドラッカーを読んだら会社が変わった』がある。 2019年12月『ドラッカー教授 組織づくりの原理原則』を出版。 雑誌『致知』に「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」連載投稿中

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