断絶の時代【経営のヒント 199】
『断絶の時代』も今日が最終回です。
企業家の時代、グローバルの時代、組織社会の時代、知識の時代とそれぞれの断絶面を私たちに見せてくれたこの著書が出版されたのが1969年、今から40年も前のことです。
断絶がもたらすインパクトの的中率は100%と言っても過言ではありません。
世に社会生態学者ドラッカーを印象付けた記念碑的な一冊が『断絶の時代』です。
<ドラッカーの一言>
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われわれの直面する断絶のうち最大のものが、
知識の地位と力の変化である。
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エターナル版『断絶の時代』1969年 ダイヤモンド社より
知識の地位、目にしたことがない言葉です。
長い間、知識は持っていることに価値がありました。まさに本の中にある世界です。
しかし今日、本の中にあるのは情報だといわれるようになりました。
知識は応用し、行動の起点として用いられてはじめて価値があるとされました。
かつて技術は秘伝とされました。
それは、19世紀後半まで徒弟的に修得させるべきもので、学ぶことができるものではありませんでした。
工科大学が出来、技術は秘伝の域を脱しました。
知識も同様の道筋をたどっています。
かつて飾りだった知識がモノを生み出す力を得、その地位を高めています。
地位の高まりは力を持つがゆえに責任を生じさせます。
力と責任は一つの物の違った側面を見ているに過ぎません。
責任が重くなれば重くなるほど、求められるのが倫理基準です。
最低限を決めるルールではありません。範としての倫理です。
ここ数年の日本の現実は、まさにこのことが問われています。
偽装列島…嘆かわしい現実です。
賞味期限、材料や産地偽装など生産者がある種の力を持つがゆえに、一方の責任感の欠如は厳しく問われるべきです。
「知りながら不善をなすな」は、プロに課された最低限の倫理です。
ドラッカー博士が生きる指針としている言葉に「神々が見ている」という言葉があります。
プロとして研鑽を積み、決して届かないことを知りつつも完全性を目指すという人生の指針です。
私たちは、最低のルールはもちろん、遥か高い基準を目指して仕事をする責任を課せられています。
知識の時代という断絶面が見えて40年が経っています。
その影響は、今日、予想以上に大きなものになっています。
今一度、手にしている知識の価値をみつめ直し、この変化のうねりにしっかりと対応したいものです。
佐藤 等