新年あけましておめでとうございます【経営のヒント 396】
新年あけましておめでとうございます。
本年も皆様にとって成果多き1年でありますことを祈念しております。
さて、12年目に入るこのメルマガは、昨年秋よりドラッカー教授の半自伝といわれている
『傍観者の時代』からお伝えしています。
第一次世界大戦終了直後から冷戦構造下でアメリカが超大国になっていく時代までを、
ドラッカー教授がよく知る人物を通して世の中を観た傑作です。
今年初めての一言は、ドラッカー少年、17歳頃のものです。
<ドラッカーの一言>
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
誰も論文を書いていないんです。
!☆!☆!☆!☆!☆!☆!☆!
『マネジメント<下>』p.50 1973年 ダイヤモンド社
今日の一言は、ドラッカー家が懇意にしていたシュワルツワルト夫妻が、
第一次世界大戦、敗戦後のウィーンで主催していたサロンでのドラッカー少年ものです。
サロンは、当時ヨーロッパの上級階級の習慣でした。
そこで少年ドラッカーは、皆「戦前」に取りつかれていると感じました。
オーストリアは、戦前の10分の1の小国になっていて、過去には戻れないにもかかわらず。
これまでの常識や習慣はなかなか変更できないものですが、ドラッカーは少年ながらそう感じたのです。
その後、ドラッカー少年はウィーンから逃れたいと思い、ハンブルクで職に就きます。
さらに「当時ヨーロッパは『戦前』はあらゆるものに浸透し、あらゆる者を麻痺させ、
あらゆる思想と思考の息の根を止めていた。
逆にいえば『戦前』への執着こそ、ナチズムの力の源泉によっていた」と回想し、
結局、ドラッカー青年は『戦前』への執着のないアメリカへと移住することになります。
話を戻します。
ある時ドラッカー少年は、主催者の妻ゲーニア・シュワルツワルトに大学受験の論文のテーマを問われます。
その時の答えが「パナマ運河の世界貿易への影響です。
開通してまだ10年ですので、“誰も論文を書いていないんです”」(“”は<ドラッカーの一言>)です。
17歳頃のドラッカー少年は、ファーストランナーであることの重要性を理解していました。
この思考は、後のマネジメントの発明に通じています。
まだ誰も体系的にマネジメントについて書いていないことを発見したドラッカー教授は、
自分がファーストランナーになろうと『現代の経営』(1954)を著します。
ファーストランナーであろうとしたことがドラッカー教授の人生を切り開いていきました。
「変化はコントロールできない。できることは、その先頭にたつことだけである」との金言は、
ドラッカー教授が自ら実践した信条でもあったのです。
貴方が目指すべきファーストランナーについて一度考えてみませんか。
佐藤 等